虚構世界で朝食を

Breakfast at fiction world

執筆小話:②書けるペンとジンクス

前記事の続き。

 執筆中に掠れてしまった愛用ボールペンなのだが、その時にまだ書きたいことがあった為、久しぶりに違うペンを取った。万年筆。PILOTのCUSTOM74である。

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<写真: PILOTの万年筆「CUSTOM74」。このペンは筆者にとって、ジンクスがある>

 このペンを小説に使うのは、本当に数年振りのことで、ペン立てのところにお守りのように屹立しているが、それまでは使われずにいた。万年筆があるのに、何故ボールペンで書いているのかというと、それは万年筆よりボールペンの方が書き易い、というような理由でなく、ただ単に、ボールペンは自分の働いた給料で買ったものであり、万年筆はそうではなく、受け取ったものであるから、という理由に過ぎない。つまりはディケンズ的な意地である。格好良く言おうとしたが、執筆に関わるものは基本的に他の人間に触らせたくない、という神経症物書きが行き着いた先がこれである。サリンジャーはディヴッド・コパフィールド的だと云って笑うだろう。しかし、そのしょうもない細部にこだわる意地こそが、私の執筆を支えている。

 さて、例の万年筆であるが、このペンは私が十九の頃に祝いで貰ったものだ。それを受け取った私は、何度か習作を書くときに万年筆を使用していた。因みにその頃はパーカーのボールペンを所有していない。まだ小説を書きはじめたばかりで、ただのひとつも物語を完結させられず、冒頭のシーンを書いては躓くということを繰り返していた。大学のルーズリーフに殴るように書き付けていたことを覚えている。そのルーズリーフは慌ただしい引っ越しの後で無くしてしまったが、書いていた内容は頭の中に残っている。傘を忘れて雨に打たれている主人公が、水溜まりに異なって映る自身の姿を見て驚き、自らを疑いはじめる……というような話だった。文章は薄っぺらい取って付けたような書き方をしていたと思うのだが、十九の頃に考えていたことと同じことを、いまも小説の中でやろうとしていると知ったら、昔の私は何と言うだろう。おそらく、人間として成長した訳ではないのだ、と思う。十九を越えてから、精神的な成長というか、真っ当な人間が具えているはずのものを得ることもないまま、二十の分水嶺を跨いでしまったような気がしている。そこにはいくらかの断絶すべき理由が存在しているのだが、その境目に立っていた時にたまたま持っていたペンがこのCUSTOM74なのである。言い換えると、私がまだ「まとも」と呼んでぎりぎり差し支えない頃(年の割にということだが)に使っていたペン、ということになる。

 私の中で十九以前と二十以降は、完全に分裂している。それは誰だってそうだ、二十と十九の違いがあるのは当たり前だろうと仰るかもしれないが、私の場合は数字に意味があるのではなく、そこで起きた出来事にあった。出来事が起きるのが遅ければ、違う地点(例えば二十三と二十四とか)で断絶していただろうし、願うことならそんな出来事が起こらずに一生を過ごすことが出来ればどれだけ良かったかと思う。そして、その境目で橋を渡すように、残っている執筆用品は、このペンしか存在しない。昔の自分が書こうとした、水溜まりの鏡の向こう側に居たのは、未来の自分かも知れない、と時々思うことがある。「水溜まりの鏡」とは、その二つに分断された、過去と、かつての未来であった現在の自分を映し出すこの「万年筆」であったかもしれないと、いまの私は思う訳である。

 少々重い話になったが、思い出話をしたいのではない。このペンは書ける、ということを言いたかった。凄く書ける。どの位書けるかというと、ボールペンの二倍である。そんな馬鹿な話があるかと突っ込まれそうだが、そんな馬鹿な話があるのである笑

 理由は全く以て分からない。仮にボールペンを使って五分でB5罫線ノート一頁分を小説の言葉で丸々埋めることが出来る能力が筆者にあったとしよう(そんなものはない)。この万年筆を使うと何故か二分半で一頁を全て埋めることが出来る(トルーマン・カポーティならやりかねない。但し、彼の場合は万年筆でなくBlackwing602の鉛筆)。例は極端だが、実際の体感としてそうなのだ。三十分かかった頁を、十五分で書き上げることが出来るように。

 じゃあずっと使えばいいじゃないか、と言われそうだがそうはしない。前述のように、私にはしょうもない意地がある。それに、ずっと使っていたらジンクスはジンクスでなくなるかもしれない。魔力がありそうなものはとっておくのが一番である。どうしても困ったときに、出せばいい。かつてのイタリア代表スーパーサブデル・ピエロが後半に出てきてフリーキックを決めるように。喩えが分かりづらいし古いか。ウイニングイレブンでやられたら最悪だ。とにかく、一点は決めてくれる。

 

 お後がよろしいようで。

 

 Kazuma

 

 (余談)

 件のボールペンの替え芯、伊東屋のROMEOが自宅に届いたので早速使ってみた。書きはじめから全く掠れず、発色も濃くて良い。ぬらっとした書き心地で癖になる。リピート確定。

 

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