虚構世界で朝食を

Breakfast at fiction world

「秋。はじまりの季節。生存報告。」

 お久しぶりです。kazumaです。この名前で名乗るのはもう止めようかなと考えていたのですが、ここに来て少し動きがあったので、告知ということで『虚構世界』のブログを更新します。

 九月から十月に掛けて、『ひきこもり文学大賞』の募集がありました。いまはTwitterにいないので、どれぐらいの人が知っているのか分かりませんが、僕は応募しました。といっても、原稿用紙六枚程度の掌編です。募集はもう締め切っているのであれですが、一応、ご報告ということでここに書いておきます。

 主催は精神科医の東さんという方で、クラウドファンディングにて賞を創設されたそうです。僕も応募ぎりぎりまでこの賞があることを知らなかったのですが、PCで何かの検索を掛けている時に偶然引っかかって、面白そうだなと思って、手元にあった原稿を引き寄せてみました。規定は4000字以内で、家に居ながらファイルをアップロードするだけで応募ができたので、そんならやるかということになり、丁度書き始めていた長編の冒頭をくり抜き、駄目元で応募してみました。

 僕のいまの小説の書き方は、ひとつひとつのシーンを映画のコマ割りみたいに繋ぎ合わせて作っているような感じで、その部分だけ切り取っても、ちょっとした短編として成立しているように(少なくとも僕の目には)見えたので、その六枚分に相当する掌編に手を加え、応募しました。

 タイトルは「空をとぶのにうってつけの日」で応募作品のナンバーは60番に当たります。『武内一馬』の名義で提出しました。応募は87件ほどあったそうで、それをクラウドファンディングで事前に支援した人が、作品を読めたり、コメントを付けたり、投票できるようになっています。

 

hikikomoribungaku.com

 応募資格は引きこもりか、元引きこもりの状態にあるひとだそうです。僕はいまの小さな職場に就く前(ブログを読んできた人は分かると思いますが)、作家を目指す、という名目で約一年間、職場にも行かずひたすら自宅でものを書いていました。その一年は、もちろん小説を書く、古本屋の準備をする、という目的はあったのですが、前職を辞めたあと、社会から背を向けたくなる気持ちが強くあり(それはいまでも持っています)、この現実社会の中で生きていくことを諦めたくなっていました。いま思い返してみても相当ささくれだっていた時期で、部屋の壁に手当たり次第にものを投げつけていたときもありました。その延長線上で、いまの僕は辛うじて生きています。

 多分、本質的にはひきこもった頃と何も変わっていないんじゃないかと思っています。職場には行かなくては生きていけなくなるから行っているだけで、あとは必需品の買い物や、ちょっとした本と小説を書く楽しみのために生きているようなものだから。外を出歩くだけでもいやなことが沢山あったりします。ここでは言及しませんが。いまでもほんの少し、ひきこもりに毛が生えた程度の生き物です。

 僕はその時期から現在に至るまで、似たようなバックグラウンドを持つ人と関わる機会がいくらかあったので、今回新しく創設されたこの賞に応募することは僕にとって意味あることでした。この社会を平然とした面で生きていけるひとよりも、どこにも居場所を見つけられずに泣いているひとに向かってものが書きたい、話がしたいと、ずっと昔から思っていました。それは僕自身がそうだったからです。

 といっても未だに希望のある小説は書けず、現実をのらりくらりとかわしながら、詰まるところ、最後には奈落に落ち込んでしまうような――、そういう物語に自然になってしまったりします。まだ僕には、小説の人物と人生の分離がうまくいってないのかもしれません。作っては崩し、出来ては駄目での繰り返しです。七年掛けてもまともなものひとつ書いた試しはありません。まだ卵の殻さえ破ってなかったのかもしれません。物語は、作者の人生を語るためにあるものではないと、いまでははっきり思いますが。そういうものはこういったブログや、誰にも見せないノートの中でやっていればいいかなと思います。

 今回応募した短編は、タイトルから分かるようにJ・D・サリンジャーへのオマージュです。学生の頃に読んだバナナフィッシュの衝撃が忘れられず、ライ麦ホールデン君を含め、未だに引きずっています。このまま引きずり続けてもいいような気もします。僕は到底、周りの皆が自然と無理なく演じられるような大人には、決してなれなかったので。どこまでも中途半端な存在として、その辺の隅っこに落ちている石ころみたいに、サラリーマンの革靴にでも蹴られながら生きている気がします。

 ただこの掌編の六枚については、この部分を書き上げたあと、まあ自分にしてはよく書けたかなと、後ろ髪をぽりぽり掻きながら思ったことを覚えています。明と暗がいい具合に混じり合った感はありますが、作者が作品について言及するほど野暮なことはないので、ここらで止しておきます。

 賞創設のクラウドファンディングは支援期間が終わったようなのですが、賞の次点受賞者五名に各一万円づつ賞金を渡したい、という旨の支援は継続されています。500円からの支援が可能で、支援すると(クラウドファンディングが成功し、全体の目標額に達した場合に)、全応募作品の閲覧と投票をすることができます。僕自身が応募者でなければ、支援したかったのですが、投稿者が投票権利をもつのは何となくグレーゾーンのように思うので、今回はしていません。

 ですが、他に例を見ない性質をもつ賞だと思うので、面白い試みになるかと思います。公式サイトでは、熱い講評とコメントが続いており、応募された作品も、僕なんかよりも遙かに文章として面白いものが必ずあるかと思いますので、この機会にご支援をいただければありがたく思います。因みに、賞そのものは今回だけでなく、第二回、三回と続く予定になっているみたいです。

 まとめると、ワンコイン(500円)から支援ができ、クラウドファンディングの目標額に達した場合は、引きこもり文学大賞応募全作品、及び僕の未発表の新作が読めるよ、という番宣ならぬ告知でした。公式ランディングページはこちら。ちなみにコメントを付けられるのは3000円の支援からのようです。期間的にはあと三日なので、試してみたい方はお早めに。

※プロジェクトはAll or Nothing方式で、目標金額に達しない場合は返金されます。支援募集は10月21日(月)午後十一時まで。

 あとは僕個人の動きの話ですが。まあ、何とか生きています。未だに存命中です。学生の頃、キャンパスから突然姿を消して、僕が死んだ、ということになっている噂を流されたこともありますが、しぶとく生き延びています。ただ昔の友人たちが知っているような人物ではなくなったと思います。あれから僕が会ったかつての友人は指で数えるほどもいません。事情が混み入っているので、話せることは何もありません。ただお互い元気でいられたらいいね、と遠くで願っています。

 一馬書房はぼちぼち愉しみながらサイトを更新しています。今年で運営二年目ですかね。たまに気が向いた時に遊びに来て貰えれば嬉しいです。いまのところ僕がネット上に残しているのはそれだけなので。

 Twitterについては、現状戻る予定はありません。いまでも話したいひとはたくさんいて、心残りがあるのですが。言葉が浮かんでは流れていく刹那的なSNSも面白かったのですが、ときどきあまりにも殺伐とした空気に、ナチュラルに巻き込まれたりすることがあるので、僕には向いていなかったなと思います。じっくり時間を掛けて、ある程度の長さの文章を綴り、それをきちんと残して戦えるブログの方が僕にとってはホームグラウンドのようなものでした。もちろん一番の依り代は常にノートと青いインクの中にあります。

 十二月頃から個人的な事情で身辺が忙しくなってきそうで、もう少しオンラインからは身を引いたままでいます。ただ文芸の独自ブログは前々からの宣言通りにはじめたいと思うので、そのときにまだお話したい方がいらっしゃるのなら、その辺りで落ち合えたらと思っています。相も変わらず社会的引きこもりとして小説を書いているのは何ら変わりませんのでご安心(?)を笑 

 十月は思い入れのある季節です。カポーティも小説の中で確かにそう言っていました。秋ははじまりの季節なんだ、と。何で思い入れがあるのかは言いません。ただ学生だった頃の僕は、『ティファニーで朝食を』を読んで、ワンルーム・アパートの壁にもたれてひとりでいつまでも泣いていました。二十歳の十月でした。

 あれからずっとひとりぼっちで今日まで生きてきたような気がします。

 それでは皆さん、ごきげんよう

 kazuma

 

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