虚構世界で朝食を

Breakfast at fiction world

「秋。はじまりの季節。生存報告。」

 お久しぶりです。kazumaです。この名前で名乗るのはもう止めようかなと考えていたのですが、ここに来て少し動きがあったので、告知ということで『虚構世界』のブログを更新します。

 九月から十月に掛けて、『ひきこもり文学大賞』の募集がありました。いまはTwitterにいないので、どれぐらいの人が知っているのか分かりませんが、僕は応募しました。といっても、原稿用紙六枚程度の掌編です。募集はもう締め切っているのであれですが、一応、ご報告ということでここに書いておきます。

 主催は精神科医の東さんという方で、クラウドファンディングにて賞を創設されたそうです。僕も応募ぎりぎりまでこの賞があることを知らなかったのですが、PCで何かの検索を掛けている時に偶然引っかかって、面白そうだなと思って、手元にあった原稿を引き寄せてみました。規定は4000字以内で、家に居ながらファイルをアップロードするだけで応募ができたので、そんならやるかということになり、丁度書き始めていた長編の冒頭をくり抜き、駄目元で応募してみました。

 僕のいまの小説の書き方は、ひとつひとつのシーンを映画のコマ割りみたいに繋ぎ合わせて作っているような感じで、その部分だけ切り取っても、ちょっとした短編として成立しているように(少なくとも僕の目には)見えたので、その六枚分に相当する掌編に手を加え、応募しました。

 タイトルは「空をとぶのにうってつけの日」で応募作品のナンバーは60番に当たります。『武内一馬』の名義で提出しました。応募は87件ほどあったそうで、それをクラウドファンディングで事前に支援した人が、作品を読めたり、コメントを付けたり、投票できるようになっています。

 

hikikomoribungaku.com

 応募資格は引きこもりか、元引きこもりの状態にあるひとだそうです。僕はいまの小さな職場に就く前(ブログを読んできた人は分かると思いますが)、作家を目指す、という名目で約一年間、職場にも行かずひたすら自宅でものを書いていました。その一年は、もちろん小説を書く、古本屋の準備をする、という目的はあったのですが、前職を辞めたあと、社会から背を向けたくなる気持ちが強くあり(それはいまでも持っています)、この現実社会の中で生きていくことを諦めたくなっていました。いま思い返してみても相当ささくれだっていた時期で、部屋の壁に手当たり次第にものを投げつけていたときもありました。その延長線上で、いまの僕は辛うじて生きています。

 多分、本質的にはひきこもった頃と何も変わっていないんじゃないかと思っています。職場には行かなくては生きていけなくなるから行っているだけで、あとは必需品の買い物や、ちょっとした本と小説を書く楽しみのために生きているようなものだから。外を出歩くだけでもいやなことが沢山あったりします。ここでは言及しませんが。いまでもほんの少し、ひきこもりに毛が生えた程度の生き物です。

 僕はその時期から現在に至るまで、似たようなバックグラウンドを持つ人と関わる機会がいくらかあったので、今回新しく創設されたこの賞に応募することは僕にとって意味あることでした。この社会を平然とした面で生きていけるひとよりも、どこにも居場所を見つけられずに泣いているひとに向かってものが書きたい、話がしたいと、ずっと昔から思っていました。それは僕自身がそうだったからです。

 といっても未だに希望のある小説は書けず、現実をのらりくらりとかわしながら、詰まるところ、最後には奈落に落ち込んでしまうような――、そういう物語に自然になってしまったりします。まだ僕には、小説の人物と人生の分離がうまくいってないのかもしれません。作っては崩し、出来ては駄目での繰り返しです。七年掛けてもまともなものひとつ書いた試しはありません。まだ卵の殻さえ破ってなかったのかもしれません。物語は、作者の人生を語るためにあるものではないと、いまでははっきり思いますが。そういうものはこういったブログや、誰にも見せないノートの中でやっていればいいかなと思います。

 今回応募した短編は、タイトルから分かるようにJ・D・サリンジャーへのオマージュです。学生の頃に読んだバナナフィッシュの衝撃が忘れられず、ライ麦ホールデン君を含め、未だに引きずっています。このまま引きずり続けてもいいような気もします。僕は到底、周りの皆が自然と無理なく演じられるような大人には、決してなれなかったので。どこまでも中途半端な存在として、その辺の隅っこに落ちている石ころみたいに、サラリーマンの革靴にでも蹴られながら生きている気がします。

 ただこの掌編の六枚については、この部分を書き上げたあと、まあ自分にしてはよく書けたかなと、後ろ髪をぽりぽり掻きながら思ったことを覚えています。明と暗がいい具合に混じり合った感はありますが、作者が作品について言及するほど野暮なことはないので、ここらで止しておきます。

 賞創設のクラウドファンディングは支援期間が終わったようなのですが、賞の次点受賞者五名に各一万円づつ賞金を渡したい、という旨の支援は継続されています。500円からの支援が可能で、支援すると(クラウドファンディングが成功し、全体の目標額に達した場合に)、全応募作品の閲覧と投票をすることができます。僕自身が応募者でなければ、支援したかったのですが、投稿者が投票権利をもつのは何となくグレーゾーンのように思うので、今回はしていません。

 ですが、他に例を見ない性質をもつ賞だと思うので、面白い試みになるかと思います。公式サイトでは、熱い講評とコメントが続いており、応募された作品も、僕なんかよりも遙かに文章として面白いものが必ずあるかと思いますので、この機会にご支援をいただければありがたく思います。因みに、賞そのものは今回だけでなく、第二回、三回と続く予定になっているみたいです。

 まとめると、ワンコイン(500円)から支援ができ、クラウドファンディングの目標額に達した場合は、引きこもり文学大賞応募全作品、及び僕の未発表の新作が読めるよ、という番宣ならぬ告知でした。公式ランディングページはこちら。ちなみにコメントを付けられるのは3000円の支援からのようです。期間的にはあと三日なので、試してみたい方はお早めに。

※プロジェクトはAll or Nothing方式で、目標金額に達しない場合は返金されます。支援募集は10月21日(月)午後十一時まで。

 あとは僕個人の動きの話ですが。まあ、何とか生きています。未だに存命中です。学生の頃、キャンパスから突然姿を消して、僕が死んだ、ということになっている噂を流されたこともありますが、しぶとく生き延びています。ただ昔の友人たちが知っているような人物ではなくなったと思います。あれから僕が会ったかつての友人は指で数えるほどもいません。事情が混み入っているので、話せることは何もありません。ただお互い元気でいられたらいいね、と遠くで願っています。

 一馬書房はぼちぼち愉しみながらサイトを更新しています。今年で運営二年目ですかね。たまに気が向いた時に遊びに来て貰えれば嬉しいです。いまのところ僕がネット上に残しているのはそれだけなので。

 Twitterについては、現状戻る予定はありません。いまでも話したいひとはたくさんいて、心残りがあるのですが。言葉が浮かんでは流れていく刹那的なSNSも面白かったのですが、ときどきあまりにも殺伐とした空気に、ナチュラルに巻き込まれたりすることがあるので、僕には向いていなかったなと思います。じっくり時間を掛けて、ある程度の長さの文章を綴り、それをきちんと残して戦えるブログの方が僕にとってはホームグラウンドのようなものでした。もちろん一番の依り代は常にノートと青いインクの中にあります。

 十二月頃から個人的な事情で身辺が忙しくなってきそうで、もう少しオンラインからは身を引いたままでいます。ただ文芸の独自ブログは前々からの宣言通りにはじめたいと思うので、そのときにまだお話したい方がいらっしゃるのなら、その辺りで落ち合えたらと思っています。相も変わらず社会的引きこもりとして小説を書いているのは何ら変わりませんのでご安心(?)を笑 

 十月は思い入れのある季節です。カポーティも小説の中で確かにそう言っていました。秋ははじまりの季節なんだ、と。何で思い入れがあるのかは言いません。ただ学生だった頃の僕は、『ティファニーで朝食を』を読んで、ワンルーム・アパートの壁にもたれてひとりでいつまでも泣いていました。二十歳の十月でした。

 あれからずっとひとりぼっちで今日まで生きてきたような気がします。

 それでは皆さん、ごきげんよう

 kazuma

 

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「最後の挨拶 KDP第三作を発表」

 こんばんは、kazumaです。こんな風に挨拶するのはこれが最後かもしれませんね。この『虚構世界で朝食を』のブログを締めるにあたって、皆さんに最後の置き土産を持ってきました。二年遅れのプレゼントですが、受け取りたいひとは、受け取ってもらえれば嬉しく思います。KDP出版・第三作の原稿です。

 思えば、このブログをはじめた頃に描いていた未来は、当時(2017年)から二年後――つまり、今年の三月三十一日までに――作家になる、ということでした。随分と途方もない夢を見ましたが、二年後の私が、二年前の『彼』に対して、言ってあげられることはただひとつです。君の選んだ道は間違っていなかった。

 ものを書き始めてから七年経っても、言いたいことひとつ、ろくに言うことができない私ですが、それでもノートに残した青い言葉たちが羽を持ち、薄紙の上から羽ばたくその日を信じて生きてきました。他のものなんか何一つ信じられなくても、伝えたいことを伝えるべき人に届ける為に、生き延びたようなものです。

 いま私の周りには誰もいません。ひとりぼっちのワンルーム・アパートの中で、この文書を綴っています。七年前と何にも変わらないまま、部屋の外の景色だけが巡り巡っていきました。これが望んだ未来でした。端から見れば、随分と歪な結末に辿り着いたように見えるかもしれません。でも、いまのこの暮らしは、ものを書き始めた頃の自分が、これ以上望みようがないほど、望んでいたものです。私の一番好きな中編小説に、トルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』があります。主人公の作家志望の青年が冒頭、ブラウンストーンのアパートメントに越してきて、そこには自分の蔵書があり、ひとつかみの鉛筆が鉛筆立てに収まっているのを見て、こう言うのです。

 "とはいえ、ポケットに手を入れてそのアパートメントの鍵に触れるたびに、僕の心は浮き立った。たしかにさえない部屋ではあったものの、そこは僕が生まれて初めて手にした自分だけの場所だった。僕の蔵書が置かれ、ひとつかみの鉛筆が鉛筆立ての中で削られるのを待っていた。作家志望の青年が志を遂げるために必要なものはすべてそこに備わっているように、少なくとも僕の目には見えた。" 

T・カポーティティファニーで朝食を村上春樹訳 新潮文庫

 学生の頃、私はひどいぼろアパートで暮らしていました。東京に出てきて家賃が三万五千を切るような。訳あって、大学から十キロも離れたアパートを選び、誰も知り合いのいない街で暮らし、授業が終わればすぐアルバイトに出ていきました。学生時代によかった思い出は殆どありません。哀しいことばかりが目の前にありました。

 それから七年後も、特別、昔と変わった訳ではないです。雀の涙のような賃金を貰いながら働き、続けられるか分からない細々とした一人暮らしの中で、仕事が終われば、ものを書き、電車に揺られながら本を読んで暮らしています。昔と違うのは、これが自分で選んだ道だということです。学生の頃は、望んで選んだ学生生活ではありませんでした。選択肢は与えられていなかった。二十歳になる前と後で、私は別の人間になったように思います。時折、それより昔の自分を思い出すことがありますが、やっぱりいつの間にか、その懐かしき少年のような『彼』は姿を消してしまうのです。

 KDP出版をした第一作『私はあなたを探し続ける』、第二作『時計の針を止めろ』、そしてこれから発表する今作は、三作とも異なる世界観で作られていますが、追っているテーマはただひとつです。三部作、と呼んでもよいかもしれません。

 私はこの作品でプロになることを信じて物語を作りました。ですが、出来上がったものは小説と呼べるか分からない代物でした。この書き方以外に、私はものの書き方を知りませんでした。

 ただ、二十になるか、ならないかの頃に感じていた、まるで一人の人間が二つに分かれて、互いに背を向け離れていくような感覚を、その境界線上で揺れ動いていた、決してひとには伝えられなかった思いを、七年かけてようやくひとつ言うことが出来た。そういう思いがこの第三作には込められています。

 題名は『青い詩が聞こえる』(武内一馬著)です。今回の作品は、思い入れのある作品で、ほんとうに読みたいと思う人だけに読んで貰えればと考えておりますので、無料配布の予定はありません。kindle書籍の価格は300円です。Amazonにてお買い求めください。(ASIN:B07S9Z7629)

青い詩が聞こえる (一馬書房)

青い詩が聞こえる (一馬書房)

 

 

 尚、今後のオンラインでの文芸活動は未定です。独自ドメインを取得したブログの開設を考えていますが、しばらくはネット上から姿を消し、ひとりきりになります。『虚構世界で朝食を』は告知以外の更新を停止、及び、Twitterアカウント(@kazumanovel)は終了いたします。オンラインでの活動再開の目処が立ちましたら、何らかの形で報告するか、お知り合いの方にはお声がけするかもしれません。

 この作品の発表を持って、私からの最後のご挨拶とさせていただきます。またいつの日か、物語の海の中で会えたら。

 kazuma

 『いつまで経っても同じことの繰り返し。終わることのない繰り返し。何かを捨てちまってから、それが自分にとってなくてはならないものだったと分かるんだ』

 それでは、皆さん。さようなら。

 

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ただいま、さようなら、青い春よ

 こんばんは、kazumaです。今回も三ヶ月ほど姿をくらましていました笑 皆さん、お元気でしたでしょうか? 三末の公募シーズンが終了し、このブログのタイムリミットも期限切れとなりました。

 この『虚構世界で朝食を』のブログは二〇一九年三月三十一日までに作家になることを目標として開始したものです。二年前は仕事さえも辞めて、公募だけに明け暮れようとしていました。ですが新人賞の壁は厚く、爪一つ引っ掻くことの出来ない堅い堅い岩でした。

 この二年間、自分の中で小説の位置づけが変化していくのを感じていました。オンライン、オフライン含め、小説に関わるひとたちと出会い、言葉をやり取りしていく中で、作家を目指すことの意味について、考えが変わってきたのだと思います。

 昔は生きることの前に書くことがあると思っていました。人生なんてどうでもよくて、言いたかったことを小説の中で言い切って、この世から、社会から、人間から、逃げさえすれば、それでよいのだと。でも、それが決してすべてではなかったことを、この二年間で出会ったひとたちに教えて貰ったような気がします。
 
 離れていったひともいたし、新たに知り合って言葉をやり取りしたひともいます。遠ざかっていったひともいたし、自分から遠ざけたこともありました。二年間のどこを切り取っても幸せな瞬間はただの一瞬間で、あとは塵芥かシャボンみたいにふっと消えていきました。でも、もし幸せな瞬間が、終わることのない千年王国みたいに続くのだとしたら、たぶん、書く事なんて何にも残っていなかったでしょう。書くことの前には生きることがあって、生きることは苦しみなしに逃れることは出来なかった。少なくとも、私の人生はそうでした。

 あなたの書く物語はつまらない、小説でさえない、何が言いたいのかよく分からない……、色んな人にそう言われました。そのとき書くことがすべてだった私にとってはつらい言葉でしたが、実際のところ出来上がった小説を見れば、それが真実だったのだろうと思います。

 二年で小説をものにしよう、作家になろう、そんな考えで掴めるほど、小説の海は、狭くも浅くもなかったです。はじめて書いた物語がそのままひとつの小説になっているような天才小説家でもなければ、小説の急所を短期間で把握して、数年も経たずにトントンとプロへの階段を飛び越えて上っていくような秀才でもありません。私に残された道は何年、何十年と掛かっても泥臭くぬかるんだ段をひとつひとつ昇っていく、それ以外の道はないのでした。そのためには、たった二年の時間では、到底足りなかったのです。

 まるで書くことはパンドラの函で、開ければ開けるほど、災厄が降りかかって来るかのように思えました。でも、その函は過去の自分が大事に大事に、胸の中に抱いていたものでした。もうその函は元に戻しようがないほどぐちゃぐちゃに壊れていて、それでも底にある「希望」を掴もうと、この函の海の中を喘ぐように息をしながら溺れていきました。何もかも放り投げようとしていたあの時の自分が、ペンとノートだけは馬鹿みたいに手放さずにぎゅっと掴んでいたものなので、いまさら抛る気になどびた一文もなれないのです。息が続かなくなるまで、この海の底に潜っていたい。七年経ってもまだ、これだという輝くような石は見つからないまま、現実の地上で息を吸っては、また虚構の水面下を潜っていく……。

 息が途絶えるまで、それを繰り返していたいのです。そして、同じように小説の海に潜る人がいるとすれば、探している石が違うものであっても、それぞれが見つけた石について、決してわかり合うことがなくとも、ずっと遠くで、ともに同じ道を歩んでいる人間がいることは伝えたい。その為に、このブログで伝えるのは開設した当初の目的にそぐわなくなったので、「虚構世界で朝食を」での更新は停止しようと思います。次の扉を開くためには、この扉を閉めなくてはならないから。ここは閉鎖という形ではなく、ひとりの作家志望者のログとして残しておきます。

 次のブログは、はてなブログではなく、独自ドメインを取得し、無期限に文筆活動をお伝えできるブログを開設しようと考えております。構想段階なので、実際のブログ開設まで、まだまだ時間は掛かりますが、開設の折には、こちらでもご報告いたしますので。

 私の青い春はここで終わってしまったみたいです。いまはもっと深い色が見たい。公園のベンチにひとりで寝そべって見た、七年前の青く昏い夜明けの色を。その色をいつまでも追いかけて、私は生きてきたのだと思います。

 

 ただいま、さようなら、青い春よ。

 

 kazuma

 

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文学書生kazumaのもの書きベストバイ(2017-2018シーズン)

 こんばんは、kazumaです。2018年もいよいよ暮れようとしてきましたね。
 今年は何があったかなあと振り返るとき、身に起きた出来事を振り返るひともいれば、何気なく見た景色の一コマを思い出したりするひともいるでしょう。kazumaとしては、今年は執筆と生活環境の構築に手間暇を注いだ年でした。なので、ここではひとりの物書きとしての視点で、kazumaが買ってよかったなあと思った執筆グッズやおすすめの本をご紹介します! 毎度ながら、唐突な企画ですが笑 普通に振り返るよりも面白いかなと思いまして。もしかしたら、同じもの書きのひとには参考になる部分もあるかもしれません。それでは、いってみましょう。紹介順は時系列です(おおむね)

1.『一太郎2017 スーパープレミアム』(2017年 8月) 
 おすすめ度:★★★★★
 これがなければ始まらない。皆さんご存じの日本語ワープロソフトの最高峰、『一太郎』の2017年度バージョンです。これは去年の夏に買った記憶があります。発売当時、ネット小説界隈で『もの書きを狙い撃ちに来ている』と話題になりました。具体的には小説専用のファンクションキーが実装されたり(傍点や約物がFキーひとつで打つことができる)、今までなかった美しい高級書体(筑紫明朝など)が入っており、Twitterで見たときにかなり刺さりました。私はワープロソフトは大学時代から一太郎を使用しており、2013玄からの愛用者です。ATOKという非常に優秀な日本語変換が含まれており、いまとなってはワード全盛の時代ですが、昔から公的機関や学術機関で採用されていた老舗のワープロソフトです。小説家やライターなど、日本言語の精度を求められる職業でよく使われています。私はこの一太郎がある、という理由だけでMacを使用せず、PCは常にWindowsです。Macには一太郎は残念ながら対応していないのです。もし、もの書きのあなたがWindowsPCをお持ちであれば、一太郎を執筆エディタとして推薦します。私は最上位版のスーパープレミアムを購入しましたが、ただ単に付録のマウスと、文章を読み上げてくれる『詠太』が欲しかっただけなので、購入する場合は単体の無印一太郎を薦めます。無印一太郎は一万円もあれば購入できます。古いバージョンをひとつでもお持ちの場合は、バージョンアップ版で安く利用できます。
 2017エディションに特に不満のようなものはないのですが、唯一、ポメラDM200に対応していないことが誤算でした。一太郎には『ソプラウィンドウ』という機能があり、USBで繋げば、ポメラと連携する機能があるのですが、2017年版は未対応でした。2018年版はポメラDM200との連携は確認されているようなので、ポメラニアンポメラユーザーを俗にそう呼ぶ)の方々は安心して購入できますね笑 電子書籍にもボタンひとつでファイルをまるごと変換してくれるので、オンラインで活動していきたいなと考えている方にもおすすめです。小説を書くには、最低限、このソフトとPCがあれば、問題なく書けます。 
一太郎2018 通常版

一太郎2018 通常版

 

 2.パーカー 万年筆 ソネット ブルーラッカーCT(2018年2月購入)
 おすすめ度:★★★★☆

 これは今年の二月に購入しました。私の誕生日です笑 残念ながら、今年も誰からもプレゼントはもらえませんでしたが(←)、マイルールがありまして、毎年、執筆に関わるものを必ず誕生日に、自分宛に購入するようにしているのです。筆記具は英国のペンブランドのParkerのものだけにこだわっています。私の読書体験のはじまりは、小学校の頃に図書館で借りた『シャーロック・ホームズの冒険』がすべてのはじまりです。その物語を書いたアーサー・C・ドイルが使っていたのが、このParkerの万年筆、デュオフォールドでした。デュオフォールドはウン万円とするのが普通の万年筆ですが(どうやら万年筆の世界も青天井のようです)、私が買ったのは中堅クラスのミドルレンジシリーズのSonnetという型です。因みにSonnetは、詩という意味を表し、詩小説を書く私にはぴったりなのでした。この万年筆を買い求める為に、地元の老舗万年筆店を訪ね、何度か試し書きをし、最も好きな鮮やかな青色をしたブルーラッカーCTを購入しました。銀色の名入りにしていただき、お値段は二万弱でした。名前を入れなければ、アマゾンでは一万から二万円までで買うことができます。今年は持ち出し用のソネット(ブラック)を購入するか検討中のkazumaです。ところで誰か……笑
3. J.D.Salinger『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ ハプワース16、1924年』(2018年6月)
 おすすめ度:★★★★★
 今年読んだ本の中で間違いなくNo.1の出来映え。サリンジャーの新邦訳が出るなど、誰が予想できたでしょう。『ライ麦畑』に親しんでいる読者であれば、ホールデンに再び出会えるような、そんな感動が味わえます。どんなに懐かしい気持ちで、一行一行を、愛おしく追ったことか。『ハプワース16、1924年』では幼き日の長兄、シーモア・グラスが登場。個人的に、この本はサリンジャー・オールスターズ、といった印象です。サリンジャーの『ライ麦畑』『バナナフィッシュ』が好きなら、この本を読んで後悔することはありません。いえ、読まなかったことを後悔するようになるでしょう。

 

 

4. MOLESKINE ノートブック evernote エディション (2018年 夏頃)
 おすすめ度:★★★☆☆
  ベタですが。MOLESKINEのノートブック。いままでは一冊の値段が高くて、代替品のノートを使っていたのですが、一冊を埋めるのに丸半年~一年かかることもあり、それくらいの投資なら、最初からよいものを使おう、ということで。evernoteエディションは、例の象さん印にビビッドなグリーンカラーで、アクセントがあって気に入っています。主にこれは執筆周り、というよりかは、個人的な目標、大事な計画などを書き込むノートブックにしています。evernoteエディションは、三ヶ月のプレミアム無料コードもついているので、年四冊買えばプレミアム丸一年の運用も可能? かもしれません。
5. ツバメノート B5 (2018年 夏 買い増し)
 おすすめ度:★★★★★
 泣く子も黙るノートブック。それがツバメノートです。小説を書くときは常にこのB5ノートを使用します。ノートとしての品質は、今まで使ってきたノートの中で最高級のものだと個人的には思っています。しかも、どこでも手に入れることができ、安価で、コスパも大変よろしい一品です。又吉さんも執筆に使っていたような……(映像の中に映っていたことがあった)。中村文則さんは、物語に合わせてその物語に合うような個性的なノートを毎回使用されているそうですが(憧れ)、私としてはいつか書き上げた小説ノートが、同じノートブックでずらりと並ぶ瞬間が見たいのです。丁寧に保管すれば半永久的に保存が可能なフールス中性紙が使われており、万年筆のインクの乗りもよく、ボールペンの筆記でも滑らかです。攻守ともに優れた執筆のお供に、どうぞ。
 6. アンドレ・ジッド『狭き門』(2018年10月)
 おすすめ度:★★★★☆
 個人的に十月はジッドの衝撃にただ酔いしれておりました。某SNSでも、ジッド、ジッドと連呼しておりました。それくらいジッドは刺さりましたね。元々この本は、いまは疎遠になってしまった知人に教えてもらったもので、なんとなくこの一冊が、最後の思い出の本のようになってしまいました。エピグラフでは聖書の一節が引用され、ルカ伝十三章二十四節より、『力を尽くして狭き門より入れ』との言葉にぶつかります。では『狭き門』とは何なのか? それを考えながら読んだ本でした。宗教をテーマに扱った本で、主人公ジェロームと聖女アリサの瑞々しい恋愛ののち、神の愛を選ぶのか、人の愛を選ぶのか、といった、普遍的な主題がこのタイトルの裏に込められています。個人的に、ジェロームとアリサはどのように、それぞれの『狭き門』に入ろうとするか、『狭き門』とは信仰の門だったのか、という点に興味があり、趣味のタロットカードと対比しながら解釈できたこともあって、非常に実入りのよい作品でした。『背徳者』に最も興味があったのですが、この本から入ったのは正解だったと思います。これからもジッドの作品を大切に読むことに変わりはありません。
狭き門 (新潮文庫)

狭き門 (新潮文庫)

 

 7. Meiji 『The chocolate カカオ70% Comfort Bitter BEAN to BAR』(2018年10月~)
 おすすめ度:★★★☆☆

 明治のThe chocolateシリーズ。コンフォート・ビター。毎度ながら流行から遅れるkazuma氏(『バーナード嬢』の遠藤みたい。このネタわかる人いる?笑)ここ最近になってようやくハイカカオチョコレートに目覚め、様々な味を食べ比べた結果、最終的にコンフォート・ビターのチョコレートが優勝ということになりました。異論は認めません、満場一致です。黙ってこのチョコレートを選びましょう。なお、奇しくも一番はじめに食べたカカオ・チョコレートでした。これを食べながら、原稿を書くと速度が三割増しになります(kazuma比) 糖分と冴え渡る苦みが、あなたの執筆を加速させます。以上。
8. 静かなワンルームアパート(2018年11月)
 おすすめ度:★×∞
 はい。これがすべてです笑 今までいろいろと訳あって実家暮らしをしていたのですが、今月で卒業いたしました。ものを書く環境において、最も必要なものは、単純に孤独のみです。環境という面ではこれが最も大きなものでした。『ティファニーで朝食を』には、作家のポールとヒロインのホリー・ゴライトリーが住むアパートメントがありますが、ポールの部屋には『ものを書く人間として必要なものがすべてそこにあった』といい、そんな部屋に随分長らく憧れたものでした。そのアパートメントは赤い煉瓦色をしているそうですが、私も偶然ながら赤い煉瓦調の老舗マンションの一室を借りることができて、ひとりでにこにこしながらものを書いています。あとはホリー……泣
ティファニーで朝食を (新潮文庫)

ティファニーで朝食を (新潮文庫)

 
9. Simplenote アプリ (2018年 12月)
 おすすめ度:★★★★☆
 いままでは、ネット関係の記事、オンライン古書店のデータ入力などはevernoteを使用していたのですが、evernoteは数年前から台数制限二台の謎縛りがあり、新しいPCを購入した私は、泣く泣く次のデータお引っ越し先を探し、ようやく辿り着いたのが、このアプリでした。IOSWindowsともに動作し、テキストデータのみの扱いですが、オンライン上の横書き文書にはもってこいのアプリです。同期も問題なく、スムースで、evernoteのような万能アプリではないですが、使っている内にじわじわと良さがわかり始める、そんなテキストアプリです。
Simplenote

Simplenote

 
10. Microsoft Surface go メモリ8GB SSD 128GB (2018年 12月)
 おすすめ度:★★★★★+★
 kazumaの新しい相棒、『surface go』くんです。goくんは非常に優秀なアシスタントで、私の夢を叶えてくれそうです。ずっと昔から、どこでも執筆できる環境があればいいなと考えていました。その為には、執筆マシンが必要でした。かねてより、執筆にはポメラシリーズを愛用してきましたが、唯一、ポメラに出来ないのは一太郎ウィンドウでの文書編集です。どこでも持ち出して執筆だけに集中する為には、ポメラは最適解であったのですが、数年使い続ける内にわずかながら弱点もはっきりしてきました。ポメラ搭載のATOKでは堅い文章になりがちになってしまう、という変換の問題と、全文章を編集する能力です。それ以外はすべて問題ありません。ただネットに繋がっていないと、文章を打つことは出来ても、最後のアップロードまでは出来ないので、どうしてもPCマシンは必要なのでした。仕事からプライベートまで、オールカバーしてくれる、そんな文書作成マシンを探していたのです。結果的にSurface goはそのすべてを叶えてくれることになりそうです。どこへでも持ち出せるサイズ感と10インチというジャストな作業スペース。お値段もProに比べれば手頃で、もし何か不備や、損壊があったとしても、三ヶ月ほど仕事を頑張れば、買い戻すことも出来る。私の用途は主に文書作成、ブログ記事の投稿、ライティング案件など、ほとんどがテキストベースのもので、これ以上でもこれ以下でもない、ベストな選択肢がgoくんだったと、使ってみてわかりました。きっとこのマシンは夢を叶えてくれる、そんな気持ちにさせてくれるWindowsPCであり、これからの相棒です。
マイクロソフト Surface Go (128GB/8GB) MCZ-00014

マイクロソフト Surface Go (128GB/8GB) MCZ-00014

 
<まとめ>
 これで締めとなりますが、いかかでしたでしょうか。今年はブログよりもTwitterによく生息しておりましたので、久々に記事を書いて、やっぱブログいいなあ、と回帰したくなりました。140字でしか言えない、スピード感のある文章もあるけれど、やっぱり私の本領はつらつらと書き連ねるこの無制限のノートブックにあるのだなと再確認しました。私も今年を少し振り返るように書けて、楽しかったです。年末年始でまたご挨拶できるとよいのですが。また執筆おひとりさまに戻ります。皆さん、お元気で。よいお年をお迎えください。じゃあね。

原点回帰

 kazumaです。久々にブログに戻ってきました。思うところもありまして。今日は、少し早いですが今年度の振り返りと、未来の創作活動について、考えをまとめつつ、お話しします。
 
 思えば今年は、継続して執筆する環境を整える為の一年だったように思います。創作の場作り、とでもいいましょうか。新しい職場での勤務、文学学校への入校、オンライン執筆グループの立ち上げと頓挫、古書店一馬書房での活動……。ほんとうに今年も失敗ばかりをしていましたね汗 この一年は執筆と文学活動に集中すると年始で決めましたが、それに伴う周辺にも手を広げたところもあり、肝心の執筆活動が芳しくならなかったという点がやはり敗北かなと思います。
 
 結果的に今年書いたのは三月に新潮に出した中編がひとつと、短編が二つ、あとは夏から本格的に取り組み始めたいまの中長編の原稿、といったところでしょうか。やはり半年に一作がいまの私の執筆ペースのようです。プライベートで落ち着ける時間が中々作れず、職場でも苦労して、ようやく十二月になって生活が回り始めたという印象です。
 唯一、続けられたのはTwitterでの活動でしょうか。最早、Twitterが生息地ですが笑 140字の限界も感じ、ブログへの回帰が必要だと思い、戻ってきました。
 
 この一年はそうですが、割と柄にもないことに手を出したことで、執筆やブログなど、普段のオンライン活動にも影響が出てきてしまったなと感じています。糊口を凌ぐために為すべき仕事を終えたら、あとはとことん本当に好きな文学に、すべてを注ぎ込めばよかったのだと。そんな後悔のある一年でしたが、収穫はありました。プライベートは個人の文学活動を中心に行えばよい、ということがこれではっきりと理解できたので。一等気に入った、嗜好にあうやり方、それだけでもう十分なのだと。
 
 新しい仕事を始めたことで、念願のひとり暮らしも遂に叶いました。いまは生活の場、兼、個人書斎として、新たなワンルームを使っています。ひとよりも随分と遅れたスタートですが、私にとってはここがはじまりなのだと思います。偶然ですが、赤い煉瓦色の老舗マンションの一室を借りることになり、カポーティの『ティファニーで朝食を』で主人公のポールが借りたアパートをひとりで思い出して、にやにやとしているkazuma氏です笑
 
 このブログは来年の三月までに、作家になることを目指した記録としてログを残してきましたが、ここ一年で様々な文学に関わるひとたちとオンライン、オフラインで出会い、執筆活動についての考えが徐々に変わってきました。
 
 夢に期限を切ることも、作品の〆切同様、必要かと思い、二年前の当時は作家になるために仕事を辞したような逼迫した面もあって、2019年3月を、一つの期限としました。
 
 ですが、作家というものは、計画的に努力すればなれるようなものではなく、そんな経済観念で出来上がった考え自体が甘いのだということを、ここ一年で痛感していました。小説家は(恐らくですが)、必然的になるべくしてなった、という作品が書けて、結果的にプロになるものであり、先に小説家になりたい、という願望が先行するようなものではないと思います。
 
 そもそも、きちんとものを書いていれば、そのひとは既にもの書きです。それで飯を喰っていけるもの書きと、そうでないもの書きがいるだけです。私は後者でした。
 
 これからもプロを目指すことに変わりはありません。いつかは小説のことだけを考えて生活できるようになりたいからです。しかし、いまの現状では、到底、叶わぬ夢だということも骨身に沁みて気付いています。
 
 ならば後者として、いまは飯を喰っていけないもの書きとして、この状況を足掻いて愉しんでやろうと思っています。それで食べていけようが、そうでなかろうが、文学は文学です。才に富める者にも、貧しき者にも、言葉は与えられているのだと信じます。
 
 望むものを突き詰めることこそ、私の人生においては肝要なことで、それが与えられた役割でもあるのだと、勝手に思っています。金のために文学をやっている訳ではないのです。
 
 私の文章は文学賞から見向きされるものではありません。形は整っているが、中身が無く、傲慢で、独り善がりな文章だとよく言われました。もともと自分自身に宛てて書いてきた小説だったからです。読者は常に自分で、本来、人に読ませるようなものではありませんでした。
 
 ですが、いまは何のために書くのかを、朧気ながらに知っています。それが二年前の私と明らかに違う点です。自分と同じ、ひとりぼっちの孤独を抱えざるを得なかった人間のために、この世の何処にも居場所を見つけられなかったひとのために、泣こうにも泣くことの出来ない苦しみを知っている、そんな私に似た十字架を背負ったひとと、言葉を分かち合う為に、書くのだと。
 
 食べていけようが、そうでなかろうが、もの書きはもの書きなんだといまの私は知っています。文学はそのひとが一生を懸けて追うものです。はじまりはあっても、終わりはありません。最初から期限を切るようなものではないのです。
 
 むしろいまのこの下積みの期間こそが、これからの私の文章を形作り、自分独自の小説との付き合い方、新しい型を生み出すのだと思います。
 
 私は私なりに、文学の道を歩んでいることを、これから見てくださっている人たちと一緒に、この言葉の網の上で、新しい道を切り開くさまを示すことができればなと思って、これからのもの書き活動を続けていきます。
 
 来年三月の群像に作品を提出後、結果が判明し次第、この『虚構世界で朝食を』のブログの役割は終了するので、更新を停止します。それ以降は、無期限にkazumaの文筆活動をお伝えする自前のブログサイトを、独自ドメインで立ち上げようと思っています。できればそこで、文学談義ができるような場を、このオンライン上に、もう一度設けられればと願っています。今度は執筆グループとしてではなく、個と個が繋がり合う、誰にでも開かれた場として。因みに、古書店一馬書房としての活動は続行です。noteは研究成果などを発表できる場として今後も活用します。
 
 いまは来年三月の群像の作品提出に向けて、執筆に取り組みます。また近い内にお会いしましょう。このウェブの何処かで。
 
 書き続けると誓ったことを、私は忘れていません。いまでも。
 
 2018.12.12.

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