虚構世界で朝食を

Breakfast at fiction world

ただいま、さようなら、青い春よ

 こんばんは、kazumaです。今回も三ヶ月ほど姿をくらましていました笑 皆さん、お元気でしたでしょうか? 三末の公募シーズンが終了し、このブログのタイムリミットも期限切れとなりました。

 この『虚構世界で朝食を』のブログは二〇一九年三月三十一日までに作家になることを目標として開始したものです。二年前は仕事さえも辞めて、公募だけに明け暮れようとしていました。ですが新人賞の壁は厚く、爪一つ引っ掻くことの出来ない堅い堅い岩でした。

 この二年間、自分の中で小説の位置づけが変化していくのを感じていました。オンライン、オフライン含め、小説に関わるひとたちと出会い、言葉をやり取りしていく中で、作家を目指すことの意味について、考えが変わってきたのだと思います。

 昔は生きることの前に書くことがあると思っていました。人生なんてどうでもよくて、言いたかったことを小説の中で言い切って、この世から、社会から、人間から、逃げさえすれば、それでよいのだと。でも、それが決してすべてではなかったことを、この二年間で出会ったひとたちに教えて貰ったような気がします。
 
 離れていったひともいたし、新たに知り合って言葉をやり取りしたひともいます。遠ざかっていったひともいたし、自分から遠ざけたこともありました。二年間のどこを切り取っても幸せな瞬間はただの一瞬間で、あとは塵芥かシャボンみたいにふっと消えていきました。でも、もし幸せな瞬間が、終わることのない千年王国みたいに続くのだとしたら、たぶん、書く事なんて何にも残っていなかったでしょう。書くことの前には生きることがあって、生きることは苦しみなしに逃れることは出来なかった。少なくとも、私の人生はそうでした。

 あなたの書く物語はつまらない、小説でさえない、何が言いたいのかよく分からない……、色んな人にそう言われました。そのとき書くことがすべてだった私にとってはつらい言葉でしたが、実際のところ出来上がった小説を見れば、それが真実だったのだろうと思います。

 二年で小説をものにしよう、作家になろう、そんな考えで掴めるほど、小説の海は、狭くも浅くもなかったです。はじめて書いた物語がそのままひとつの小説になっているような天才小説家でもなければ、小説の急所を短期間で把握して、数年も経たずにトントンとプロへの階段を飛び越えて上っていくような秀才でもありません。私に残された道は何年、何十年と掛かっても泥臭くぬかるんだ段をひとつひとつ昇っていく、それ以外の道はないのでした。そのためには、たった二年の時間では、到底足りなかったのです。

 まるで書くことはパンドラの函で、開ければ開けるほど、災厄が降りかかって来るかのように思えました。でも、その函は過去の自分が大事に大事に、胸の中に抱いていたものでした。もうその函は元に戻しようがないほどぐちゃぐちゃに壊れていて、それでも底にある「希望」を掴もうと、この函の海の中を喘ぐように息をしながら溺れていきました。何もかも放り投げようとしていたあの時の自分が、ペンとノートだけは馬鹿みたいに手放さずにぎゅっと掴んでいたものなので、いまさら抛る気になどびた一文もなれないのです。息が続かなくなるまで、この海の底に潜っていたい。七年経ってもまだ、これだという輝くような石は見つからないまま、現実の地上で息を吸っては、また虚構の水面下を潜っていく……。

 息が途絶えるまで、それを繰り返していたいのです。そして、同じように小説の海に潜る人がいるとすれば、探している石が違うものであっても、それぞれが見つけた石について、決してわかり合うことがなくとも、ずっと遠くで、ともに同じ道を歩んでいる人間がいることは伝えたい。その為に、このブログで伝えるのは開設した当初の目的にそぐわなくなったので、「虚構世界で朝食を」での更新は停止しようと思います。次の扉を開くためには、この扉を閉めなくてはならないから。ここは閉鎖という形ではなく、ひとりの作家志望者のログとして残しておきます。

 次のブログは、はてなブログではなく、独自ドメインを取得し、無期限に文筆活動をお伝えできるブログを開設しようと考えております。構想段階なので、実際のブログ開設まで、まだまだ時間は掛かりますが、開設の折には、こちらでもご報告いたしますので。

 私の青い春はここで終わってしまったみたいです。いまはもっと深い色が見たい。公園のベンチにひとりで寝そべって見た、七年前の青く昏い夜明けの色を。その色をいつまでも追いかけて、私は生きてきたのだと思います。

 

 ただいま、さようなら、青い春よ。

 

 kazuma

 

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文学書生kazumaのもの書きベストバイ(2017-2018シーズン)

 こんばんは、kazumaです。2018年もいよいよ暮れようとしてきましたね。
 今年は何があったかなあと振り返るとき、身に起きた出来事を振り返るひともいれば、何気なく見た景色の一コマを思い出したりするひともいるでしょう。kazumaとしては、今年は執筆と生活環境の構築に手間暇を注いだ年でした。なので、ここではひとりの物書きとしての視点で、kazumaが買ってよかったなあと思った執筆グッズやおすすめの本をご紹介します! 毎度ながら、唐突な企画ですが笑 普通に振り返るよりも面白いかなと思いまして。もしかしたら、同じもの書きのひとには参考になる部分もあるかもしれません。それでは、いってみましょう。紹介順は時系列です(おおむね)

1.『一太郎2017 スーパープレミアム』(2017年 8月) 
 おすすめ度:★★★★★
 これがなければ始まらない。皆さんご存じの日本語ワープロソフトの最高峰、『一太郎』の2017年度バージョンです。これは去年の夏に買った記憶があります。発売当時、ネット小説界隈で『もの書きを狙い撃ちに来ている』と話題になりました。具体的には小説専用のファンクションキーが実装されたり(傍点や約物がFキーひとつで打つことができる)、今までなかった美しい高級書体(筑紫明朝など)が入っており、Twitterで見たときにかなり刺さりました。私はワープロソフトは大学時代から一太郎を使用しており、2013玄からの愛用者です。ATOKという非常に優秀な日本語変換が含まれており、いまとなってはワード全盛の時代ですが、昔から公的機関や学術機関で採用されていた老舗のワープロソフトです。小説家やライターなど、日本言語の精度を求められる職業でよく使われています。私はこの一太郎がある、という理由だけでMacを使用せず、PCは常にWindowsです。Macには一太郎は残念ながら対応していないのです。もし、もの書きのあなたがWindowsPCをお持ちであれば、一太郎を執筆エディタとして推薦します。私は最上位版のスーパープレミアムを購入しましたが、ただ単に付録のマウスと、文章を読み上げてくれる『詠太』が欲しかっただけなので、購入する場合は単体の無印一太郎を薦めます。無印一太郎は一万円もあれば購入できます。古いバージョンをひとつでもお持ちの場合は、バージョンアップ版で安く利用できます。
 2017エディションに特に不満のようなものはないのですが、唯一、ポメラDM200に対応していないことが誤算でした。一太郎には『ソプラウィンドウ』という機能があり、USBで繋げば、ポメラと連携する機能があるのですが、2017年版は未対応でした。2018年版はポメラDM200との連携は確認されているようなので、ポメラニアンポメラユーザーを俗にそう呼ぶ)の方々は安心して購入できますね笑 電子書籍にもボタンひとつでファイルをまるごと変換してくれるので、オンラインで活動していきたいなと考えている方にもおすすめです。小説を書くには、最低限、このソフトとPCがあれば、問題なく書けます。 
一太郎2018 通常版

一太郎2018 通常版

 

 2.パーカー 万年筆 ソネット ブルーラッカーCT(2018年2月購入)
 おすすめ度:★★★★☆

 これは今年の二月に購入しました。私の誕生日です笑 残念ながら、今年も誰からもプレゼントはもらえませんでしたが(←)、マイルールがありまして、毎年、執筆に関わるものを必ず誕生日に、自分宛に購入するようにしているのです。筆記具は英国のペンブランドのParkerのものだけにこだわっています。私の読書体験のはじまりは、小学校の頃に図書館で借りた『シャーロック・ホームズの冒険』がすべてのはじまりです。その物語を書いたアーサー・C・ドイルが使っていたのが、このParkerの万年筆、デュオフォールドでした。デュオフォールドはウン万円とするのが普通の万年筆ですが(どうやら万年筆の世界も青天井のようです)、私が買ったのは中堅クラスのミドルレンジシリーズのSonnetという型です。因みにSonnetは、詩という意味を表し、詩小説を書く私にはぴったりなのでした。この万年筆を買い求める為に、地元の老舗万年筆店を訪ね、何度か試し書きをし、最も好きな鮮やかな青色をしたブルーラッカーCTを購入しました。銀色の名入りにしていただき、お値段は二万弱でした。名前を入れなければ、アマゾンでは一万から二万円までで買うことができます。今年は持ち出し用のソネット(ブラック)を購入するか検討中のkazumaです。ところで誰か……笑
3. J.D.Salinger『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ ハプワース16、1924年』(2018年6月)
 おすすめ度:★★★★★
 今年読んだ本の中で間違いなくNo.1の出来映え。サリンジャーの新邦訳が出るなど、誰が予想できたでしょう。『ライ麦畑』に親しんでいる読者であれば、ホールデンに再び出会えるような、そんな感動が味わえます。どんなに懐かしい気持ちで、一行一行を、愛おしく追ったことか。『ハプワース16、1924年』では幼き日の長兄、シーモア・グラスが登場。個人的に、この本はサリンジャー・オールスターズ、といった印象です。サリンジャーの『ライ麦畑』『バナナフィッシュ』が好きなら、この本を読んで後悔することはありません。いえ、読まなかったことを後悔するようになるでしょう。

 

 

4. MOLESKINE ノートブック evernote エディション (2018年 夏頃)
 おすすめ度:★★★☆☆
  ベタですが。MOLESKINEのノートブック。いままでは一冊の値段が高くて、代替品のノートを使っていたのですが、一冊を埋めるのに丸半年~一年かかることもあり、それくらいの投資なら、最初からよいものを使おう、ということで。evernoteエディションは、例の象さん印にビビッドなグリーンカラーで、アクセントがあって気に入っています。主にこれは執筆周り、というよりかは、個人的な目標、大事な計画などを書き込むノートブックにしています。evernoteエディションは、三ヶ月のプレミアム無料コードもついているので、年四冊買えばプレミアム丸一年の運用も可能? かもしれません。
5. ツバメノート B5 (2018年 夏 買い増し)
 おすすめ度:★★★★★
 泣く子も黙るノートブック。それがツバメノートです。小説を書くときは常にこのB5ノートを使用します。ノートとしての品質は、今まで使ってきたノートの中で最高級のものだと個人的には思っています。しかも、どこでも手に入れることができ、安価で、コスパも大変よろしい一品です。又吉さんも執筆に使っていたような……(映像の中に映っていたことがあった)。中村文則さんは、物語に合わせてその物語に合うような個性的なノートを毎回使用されているそうですが(憧れ)、私としてはいつか書き上げた小説ノートが、同じノートブックでずらりと並ぶ瞬間が見たいのです。丁寧に保管すれば半永久的に保存が可能なフールス中性紙が使われており、万年筆のインクの乗りもよく、ボールペンの筆記でも滑らかです。攻守ともに優れた執筆のお供に、どうぞ。
 6. アンドレ・ジッド『狭き門』(2018年10月)
 おすすめ度:★★★★☆
 個人的に十月はジッドの衝撃にただ酔いしれておりました。某SNSでも、ジッド、ジッドと連呼しておりました。それくらいジッドは刺さりましたね。元々この本は、いまは疎遠になってしまった知人に教えてもらったもので、なんとなくこの一冊が、最後の思い出の本のようになってしまいました。エピグラフでは聖書の一節が引用され、ルカ伝十三章二十四節より、『力を尽くして狭き門より入れ』との言葉にぶつかります。では『狭き門』とは何なのか? それを考えながら読んだ本でした。宗教をテーマに扱った本で、主人公ジェロームと聖女アリサの瑞々しい恋愛ののち、神の愛を選ぶのか、人の愛を選ぶのか、といった、普遍的な主題がこのタイトルの裏に込められています。個人的に、ジェロームとアリサはどのように、それぞれの『狭き門』に入ろうとするか、『狭き門』とは信仰の門だったのか、という点に興味があり、趣味のタロットカードと対比しながら解釈できたこともあって、非常に実入りのよい作品でした。『背徳者』に最も興味があったのですが、この本から入ったのは正解だったと思います。これからもジッドの作品を大切に読むことに変わりはありません。
狭き門 (新潮文庫)

狭き門 (新潮文庫)

 

 7. Meiji 『The chocolate カカオ70% Comfort Bitter BEAN to BAR』(2018年10月~)
 おすすめ度:★★★☆☆

 明治のThe chocolateシリーズ。コンフォート・ビター。毎度ながら流行から遅れるkazuma氏(『バーナード嬢』の遠藤みたい。このネタわかる人いる?笑)ここ最近になってようやくハイカカオチョコレートに目覚め、様々な味を食べ比べた結果、最終的にコンフォート・ビターのチョコレートが優勝ということになりました。異論は認めません、満場一致です。黙ってこのチョコレートを選びましょう。なお、奇しくも一番はじめに食べたカカオ・チョコレートでした。これを食べながら、原稿を書くと速度が三割増しになります(kazuma比) 糖分と冴え渡る苦みが、あなたの執筆を加速させます。以上。
8. 静かなワンルームアパート(2018年11月)
 おすすめ度:★×∞
 はい。これがすべてです笑 今までいろいろと訳あって実家暮らしをしていたのですが、今月で卒業いたしました。ものを書く環境において、最も必要なものは、単純に孤独のみです。環境という面ではこれが最も大きなものでした。『ティファニーで朝食を』には、作家のポールとヒロインのホリー・ゴライトリーが住むアパートメントがありますが、ポールの部屋には『ものを書く人間として必要なものがすべてそこにあった』といい、そんな部屋に随分長らく憧れたものでした。そのアパートメントは赤い煉瓦色をしているそうですが、私も偶然ながら赤い煉瓦調の老舗マンションの一室を借りることができて、ひとりでにこにこしながらものを書いています。あとはホリー……泣
ティファニーで朝食を (新潮文庫)

ティファニーで朝食を (新潮文庫)

 
9. Simplenote アプリ (2018年 12月)
 おすすめ度:★★★★☆
 いままでは、ネット関係の記事、オンライン古書店のデータ入力などはevernoteを使用していたのですが、evernoteは数年前から台数制限二台の謎縛りがあり、新しいPCを購入した私は、泣く泣く次のデータお引っ越し先を探し、ようやく辿り着いたのが、このアプリでした。IOSWindowsともに動作し、テキストデータのみの扱いですが、オンライン上の横書き文書にはもってこいのアプリです。同期も問題なく、スムースで、evernoteのような万能アプリではないですが、使っている内にじわじわと良さがわかり始める、そんなテキストアプリです。
Simplenote

Simplenote

 
10. Microsoft Surface go メモリ8GB SSD 128GB (2018年 12月)
 おすすめ度:★★★★★+★
 kazumaの新しい相棒、『surface go』くんです。goくんは非常に優秀なアシスタントで、私の夢を叶えてくれそうです。ずっと昔から、どこでも執筆できる環境があればいいなと考えていました。その為には、執筆マシンが必要でした。かねてより、執筆にはポメラシリーズを愛用してきましたが、唯一、ポメラに出来ないのは一太郎ウィンドウでの文書編集です。どこでも持ち出して執筆だけに集中する為には、ポメラは最適解であったのですが、数年使い続ける内にわずかながら弱点もはっきりしてきました。ポメラ搭載のATOKでは堅い文章になりがちになってしまう、という変換の問題と、全文章を編集する能力です。それ以外はすべて問題ありません。ただネットに繋がっていないと、文章を打つことは出来ても、最後のアップロードまでは出来ないので、どうしてもPCマシンは必要なのでした。仕事からプライベートまで、オールカバーしてくれる、そんな文書作成マシンを探していたのです。結果的にSurface goはそのすべてを叶えてくれることになりそうです。どこへでも持ち出せるサイズ感と10インチというジャストな作業スペース。お値段もProに比べれば手頃で、もし何か不備や、損壊があったとしても、三ヶ月ほど仕事を頑張れば、買い戻すことも出来る。私の用途は主に文書作成、ブログ記事の投稿、ライティング案件など、ほとんどがテキストベースのもので、これ以上でもこれ以下でもない、ベストな選択肢がgoくんだったと、使ってみてわかりました。きっとこのマシンは夢を叶えてくれる、そんな気持ちにさせてくれるWindowsPCであり、これからの相棒です。
マイクロソフト Surface Go (128GB/8GB) MCZ-00014

マイクロソフト Surface Go (128GB/8GB) MCZ-00014

 
<まとめ>
 これで締めとなりますが、いかかでしたでしょうか。今年はブログよりもTwitterによく生息しておりましたので、久々に記事を書いて、やっぱブログいいなあ、と回帰したくなりました。140字でしか言えない、スピード感のある文章もあるけれど、やっぱり私の本領はつらつらと書き連ねるこの無制限のノートブックにあるのだなと再確認しました。私も今年を少し振り返るように書けて、楽しかったです。年末年始でまたご挨拶できるとよいのですが。また執筆おひとりさまに戻ります。皆さん、お元気で。よいお年をお迎えください。じゃあね。

原点回帰

 kazumaです。久々にブログに戻ってきました。思うところもありまして。今日は、少し早いですが今年度の振り返りと、未来の創作活動について、考えをまとめつつ、お話しします。
 
 思えば今年は、継続して執筆する環境を整える為の一年だったように思います。創作の場作り、とでもいいましょうか。新しい職場での勤務、文学学校への入校、オンライン執筆グループの立ち上げと頓挫、古書店一馬書房での活動……。ほんとうに今年も失敗ばかりをしていましたね汗 この一年は執筆と文学活動に集中すると年始で決めましたが、それに伴う周辺にも手を広げたところもあり、肝心の執筆活動が芳しくならなかったという点がやはり敗北かなと思います。
 
 結果的に今年書いたのは三月に新潮に出した中編がひとつと、短編が二つ、あとは夏から本格的に取り組み始めたいまの中長編の原稿、といったところでしょうか。やはり半年に一作がいまの私の執筆ペースのようです。プライベートで落ち着ける時間が中々作れず、職場でも苦労して、ようやく十二月になって生活が回り始めたという印象です。
 唯一、続けられたのはTwitterでの活動でしょうか。最早、Twitterが生息地ですが笑 140字の限界も感じ、ブログへの回帰が必要だと思い、戻ってきました。
 
 この一年はそうですが、割と柄にもないことに手を出したことで、執筆やブログなど、普段のオンライン活動にも影響が出てきてしまったなと感じています。糊口を凌ぐために為すべき仕事を終えたら、あとはとことん本当に好きな文学に、すべてを注ぎ込めばよかったのだと。そんな後悔のある一年でしたが、収穫はありました。プライベートは個人の文学活動を中心に行えばよい、ということがこれではっきりと理解できたので。一等気に入った、嗜好にあうやり方、それだけでもう十分なのだと。
 
 新しい仕事を始めたことで、念願のひとり暮らしも遂に叶いました。いまは生活の場、兼、個人書斎として、新たなワンルームを使っています。ひとよりも随分と遅れたスタートですが、私にとってはここがはじまりなのだと思います。偶然ですが、赤い煉瓦色の老舗マンションの一室を借りることになり、カポーティの『ティファニーで朝食を』で主人公のポールが借りたアパートをひとりで思い出して、にやにやとしているkazuma氏です笑
 
 このブログは来年の三月までに、作家になることを目指した記録としてログを残してきましたが、ここ一年で様々な文学に関わるひとたちとオンライン、オフラインで出会い、執筆活動についての考えが徐々に変わってきました。
 
 夢に期限を切ることも、作品の〆切同様、必要かと思い、二年前の当時は作家になるために仕事を辞したような逼迫した面もあって、2019年3月を、一つの期限としました。
 
 ですが、作家というものは、計画的に努力すればなれるようなものではなく、そんな経済観念で出来上がった考え自体が甘いのだということを、ここ一年で痛感していました。小説家は(恐らくですが)、必然的になるべくしてなった、という作品が書けて、結果的にプロになるものであり、先に小説家になりたい、という願望が先行するようなものではないと思います。
 
 そもそも、きちんとものを書いていれば、そのひとは既にもの書きです。それで飯を喰っていけるもの書きと、そうでないもの書きがいるだけです。私は後者でした。
 
 これからもプロを目指すことに変わりはありません。いつかは小説のことだけを考えて生活できるようになりたいからです。しかし、いまの現状では、到底、叶わぬ夢だということも骨身に沁みて気付いています。
 
 ならば後者として、いまは飯を喰っていけないもの書きとして、この状況を足掻いて愉しんでやろうと思っています。それで食べていけようが、そうでなかろうが、文学は文学です。才に富める者にも、貧しき者にも、言葉は与えられているのだと信じます。
 
 望むものを突き詰めることこそ、私の人生においては肝要なことで、それが与えられた役割でもあるのだと、勝手に思っています。金のために文学をやっている訳ではないのです。
 
 私の文章は文学賞から見向きされるものではありません。形は整っているが、中身が無く、傲慢で、独り善がりな文章だとよく言われました。もともと自分自身に宛てて書いてきた小説だったからです。読者は常に自分で、本来、人に読ませるようなものではありませんでした。
 
 ですが、いまは何のために書くのかを、朧気ながらに知っています。それが二年前の私と明らかに違う点です。自分と同じ、ひとりぼっちの孤独を抱えざるを得なかった人間のために、この世の何処にも居場所を見つけられなかったひとのために、泣こうにも泣くことの出来ない苦しみを知っている、そんな私に似た十字架を背負ったひとと、言葉を分かち合う為に、書くのだと。
 
 食べていけようが、そうでなかろうが、もの書きはもの書きなんだといまの私は知っています。文学はそのひとが一生を懸けて追うものです。はじまりはあっても、終わりはありません。最初から期限を切るようなものではないのです。
 
 むしろいまのこの下積みの期間こそが、これからの私の文章を形作り、自分独自の小説との付き合い方、新しい型を生み出すのだと思います。
 
 私は私なりに、文学の道を歩んでいることを、これから見てくださっている人たちと一緒に、この言葉の網の上で、新しい道を切り開くさまを示すことができればなと思って、これからのもの書き活動を続けていきます。
 
 来年三月の群像に作品を提出後、結果が判明し次第、この『虚構世界で朝食を』のブログの役割は終了するので、更新を停止します。それ以降は、無期限にkazumaの文筆活動をお伝えする自前のブログサイトを、独自ドメインで立ち上げようと思っています。できればそこで、文学談義ができるような場を、このオンライン上に、もう一度設けられればと願っています。今度は執筆グループとしてではなく、個と個が繋がり合う、誰にでも開かれた場として。因みに、古書店一馬書房としての活動は続行です。noteは研究成果などを発表できる場として今後も活用します。
 
 いまは来年三月の群像の作品提出に向けて、執筆に取り組みます。また近い内にお会いしましょう。このウェブの何処かで。
 
 書き続けると誓ったことを、私は忘れていません。いまでも。
 
 2018.12.12.

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活動予定

 こんばんは、kazumaです。今日は、近況と今後の活動予定についてお話ししておきます(何だかバンドマンみたいだ笑)。

 その前にひとつお詫びを。前回の記事は、思っていたことをそのまま文章で書き殴りました。私には自分の中に溜まったものを言葉にして吐き出すことが必要なときがあります。ごく自然なことなのですが、不用意にご心配をお掛けすることがあり、またブログの更新を待ってくださっていた方もおられますので、そろそろ落ち着いてオンラインの活動を再開していこうかと。

 いつも辛うじて生き延びている感覚ですが、とりあえずブログの文章が書けるくらいに戻ってきました。生きてますので笑 ご安心ください。

 近況報告といいますか、この空白の一ヶ月間についてはとくにお話出来ることはありません。ただ精神的に非常に不安定な状態でいました。自分が一番好きなことさえ取り組める環境にはいませんでした。仕事に行って帰ってきて、それだけでも割と一杯一杯でした。原稿も手に付かない日が何日もありました。文字通り、擦り切れていました。哀しいこともありました。平気ではいられませんでした。ただそれは、ここに書くことではないので。

 この夏は空白ではありませんでしたが、通り抜けた後には全てが空白になってしまった、とだけ云っておきます。ひとの人生は紙を一枚返せば、真っ白になってしまうような、微妙なもので。表の面にいくら情熱的にものを書いていたとしても、突然、どうしようもない力でひっくり返されてしまう。多分、ひとりで夢を見過ぎたのだと思います。それはとても自分に見合ったものではありませんでした。ひっくり返ってしまった白紙をぼんやりと見つめていました。それにも似た、河川敷の入道雲の白さが、いまも両の目に焼け付いています。

 かつても、いまも、これからも、ノートとペンだけを抱えて、ひとりで歩いて行くのだろう、と云うことだけは、はっきり分かった夏でした。それだけ分かればもう十分です。他に何にも要りません。唯一の成長があるとすれば、そこに気が付いたことです。 

 ひとは自分に見合った分だけを受け取るように出来ているのかもしれません。一生懸命手は伸ばしたつもりでしたが、どうしたって届かないものはあります。片方を諦めることは、もう一方を手に入れることです。

 新潮の結果は落選でした。出す前から分かっていた気がします。もう一度腰を据えて、納得がいくまで戦います。群像に間に合うか、正直かなり時間的な厳しさを感じるので、今回は見送ることも選択肢に入れて、時間的な制約に縛られず、作品と向き合うことだけを考えます。

 今後のオンラインの活動ですが、文学的なコンテンツについてはnoteにて徐々に発表していこうと思っています。夏が始まる前に書いた短編『サマー・バースデー』をnoteに無料で掲載しています。未読の方はよろしければ遊びに来てください。今後、カポーティの『ティファニーで朝食を』の作品読解はこちらにアップする予定です。

 

note.mu

 

 はてなブログは、よりプライベートな書き綴りになっていくかと思います。オンライン活動がより活発に出来るようになれば、はてなブログをProに変更することも検討中です。お付き合いいただける方は、これからもどうぞよろしく。

 最近は寝る前にポール・オースターの『ムーン・パレス』を読み始めました。文章の勉強のためだとか、これは読んでおかなければならないとか、そういうのは一切抜きで。ただ純粋な愉しみとして。ソファの上で胡座をかいて、何もかもを忘れて、読む。そういうことがめっきり少なくなったので。一日の内で、一番にこにこしているんだけど、部屋の中だから誰も気が付かない笑 そんなとき、忘れてしまった自分を取り戻しているような気がします。物語の繭に包まれるように。嫌なことは何も起こらない。そんな場所を現実の何処かに見つけたかった。見つけられないままだったけれど。いずれ。

 

 虚構の繭の中で揺られながら、いつまでも鮮やかな夢を見る。時計の針をねじ曲げて。

 

それは人類がはじめて月を歩いた夏だった。

(『ムーン・パレス』ポール・オースター 柴田元幸訳)

 

kazuma

 

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道化師の文学

 kazumaです。戻ってきました。インターネットとテキストの海に。この夏は欠落したものを埋めるピースを探していました。結果的に掌に残ったのはただの言葉の砂塵と欠落を抱えたままの凡庸な存在でした。何十回やっても夏は掴まえられませんでした。人間よりもトラックに踏み潰されて死んだ蝉に親近感が湧きました。人間であることが向いていない人間ほど滑稽な存在はありません。私はどうも滑稽な種類の人間のようです。どんなに願っても真っ当になれる気がしません。ひとに後ろ指を指されて笑われながら生きていくようです。

 道化師は細い細い綱の上を、薄氷を踏むように毎日歩きます。ひとびとは何事もなく地に足を付けてコンクリートで舗装された道をしっかりと踏みしめて行きます。そうして時折、振り返ってはあんなにのろまな歩き方をする奴を見たことがない、さっさと綱から降りて普通に我々と同じように歩けばよいと云います。彼らは降りることが出来ない綱があるということが、分かりません。誰だって好き好んでそんな綱の上を歩いているわけではないのです。おかしくなりたくておかしくなる人間などいません。いたとしたらそれは漫才師か酔狂な人間です。おかしく見える人間は、一番真っ当であることを願った人間です。

 虚構の中に真実が在るのか、分かりません。ただ活字以外に救われたことってなかったような気がします。誰かとの思い出だとか、ひとやあるいはそうでないものを信じたりすることで、救われるようなことは稀です。皆、最後には時間の白波や、黒い鴉のくちばしがかっさらって、訳の分からないところへ消えていきます。そこへ落ちたら、もう誰も戻ってくることはありません。誰も彼もが我先にとひとを裏切って、また別の誰かと繋がろうとします。そんなことを繰り返してまで、何かを手に入れようとするのは馬鹿げているような気がします。生まれなければよかった、と思うことはしょっちゅうです。生まれる前までのIFを遡るのは更に滑稽です。自分はひととは全く異なる目的の為に生まれているような気がします。

 人並みの幸福さえ噛みしめることの出来ない人間はこの世にいます。そんな人間は虚構の神様だけを信じます。もし言葉の神様にさえ見放されたとしたら、もうその時が終わりでいいです。何の期待も後悔もありません。私は自分と同じ苦しみを背負った人に向かって書きます。それ以外に書く理由は見当たりません。作家になる目標だとか、生活のことだとか、ここまで来たら、どうでもいいことのように思えます。私はただ同じ哀しみを抱えて涙を流したひとの頬を言葉のハンカチで拭いてあげたかっただけです。昔の自分が出来なかったことを、何年も掛かってやろうとしているだけです。かつてそれを必要としていたときに、誰にもそうしてもらえなかったことを、やろうとしているだけです。他に信じているものは何もありません。幸福な人間に向かって書く物語はありません。彼らのための物語は世の中に腐るほど溢れています。不幸を背負わざるを得なかったひとに向かって、私は話をします。

 うまく生きることが出来なかった、不器用なひとと向かい合うのが、私の文学です。それが世の中や賞といったものに認められなかろうが、そのひとたちへ向かって書き続けるだけです。その為になら、泥臭く生き延びてもいいように思います。

 

kazuma

 

人間が偉大なる所以は、彼が目的にあらずして、橋梁たるにある。人間にして愛されうべき所以は、彼が一つの過渡たり、没落たるにある。

 

 「われは夙に知っていた、――いつか悪魔が来たって、わが片足をすくうであろうことを。いま悪魔はわれを地獄へと牽き行く。之を妨げて呉れ――。」

 

  『ツァラトストラかく語りき』フリードリヒ・ニーチェ

 

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