虚構世界で朝食を

Breakfast at fiction world

作家になる為に仕事を辞めました

 世の中には、酔狂な人間がいる。こんなタイトルの記事を上げている時点で、私にもその資格は十分にある、というかとうの昔に「そちら側」の人間になっていることには既に気が付いているつもりだ。辛うじて首の皮一枚を、現実社会の方に繋ぎ止めていたのは仕事だったが、それとて人並みにこなせた訳ではなく、無理矢理に体を職場に向かわせていただけのことなのだ。帰れば、B5のツバメノートを開き、作家になるつもりで買ったパーカーのボールペンで殴り書きをし、安月給で買ったポメラにぱちぱちとタイプを打つ。真っ黒になったノートを見て、気分だけはいっぱしの文士気取りだが、気分だけでは作家になれない。疲れて一文字も書けない日が何度もあり、ノートを開くのが嫌になって、布団の上に仰向けになって音楽を聴きながら、いつまでも天井を見上げていた日があった。仕事をしながら、何故自分は書けないのだろうと考えていたら、突然やって来た客にものを尋ねられて、とんちんかんな答えを返したこともある。もし一日中、小説のことだけを考えていられる生活が出来たら、それは昼に夜の夢を見ながら生きるような、文字通りの夢の生活になるだろう。どうしたらそれが出来るのだろうか、と三年前からずっと同じ考えが頭の中を廻り続けていた。まともな人間が考えることではない。それは何かに取り憑かれた人間がやることだ。でも、私にはそれしか考えられなかったし、それさえ手に入れば、後のことは何もかもどうでも良いことのように思えた。人生で一度だけでもいいから、ぷつん、と糸の切れた凧みたいに現実の地平を離れていって、虚構の言葉の渦に呑み込まれて、訳の分からないもの――訳の分かるものなんて面白くも何ともない――が見える処まで、ボールペンの先を走らせてみたかった。そう考えている人間が、現実の一本の糸を切るのは時間の問題だった。足枷を全部外して、それでも飛べなかったら、つまり作家になれなかったとしたら、そいつは言葉を書く為に生まれてきた訳ではなかったと知るだろう。結局、物事が浮かぶか、沈むかは、水面に投げ入れてみなければ分からない。浮かぶ奴は浮かぶし、沈む奴は沈む。でも、どっちに転ぶかを知れるのは、きっと自分の身を投げた人間だけだ。沈んでいく人間を指差して、水面の手前で嗤う人間がいたとしても、そいつは水の下に何があるか永遠に知ることはない。幸い、自分は荷物が軽かった。何にも持っていなかった。この二十余年で沢山のものを奪われたから、自分は残っているものを選び取るしかなかった。ノートとペン、自分の頭の中にある言葉。それだけあれば、物語に身を投げるのには十分だ。

 二年間、小説のことだけを考えていられる生活をする為に、二年間、汗水を流して働いた。虚構の中の二年間を手に入れる為に、現実の二年間を血の代償とした。今日これからの日々がやってくるこの地点のことを、「約束の地」と勝手に名付けて、それから指折り数えて夢見てきた。悪魔に前払いはしたはずだ。

 あとは、書くだけだ。

 

(了)

 

 kazuma

 

 Remaining Days: 669