虚構世界で朝食を

Breakfast at fiction world

『展望』

 時々、ひとりで文章をせっせと書き続けていると、もがいても足掻いても前に進むことの出来ない沼地に、露とも知らぬ間に足を踏み入れてしまっているのではないか、と思うことがある。沼の向こう側には見惚れるほど綺麗な水の流れる沢があって、そこばかりに眼を向けて歩いていたら、足下に気が付かなかった。振り返れば、かつてあった安定した土塁は側になく、足を抜くには深入りし過ぎている。遠くに流れる水の美しさだけが、いまも眼の底で煌めく火を灯すように輝いている。
 
 プロの作家を目指す、と書き始めた頃は何の恐れもなく口にした。崖から飛び降りる怖さを知らない『愚者』と同じく。このブログで公言しているように、勿論、その目標が他のものに代えられる訳はない。文章を書く人間や、何かを表現していこうとするひとは、何処かしら清水の舞台から飛び降りるような蛮勇を胸の裡に囲っていなくてはならないと思う。でも、その恐れ知らずの勇気だけでは、プロの文筆家にはなれないのだと云うことが、挫折と批判と冷たい社会の眼を通して、徐々に分かってくる。私には筆以外には何もないのだから、折る筆もないのだけれど、人の居ない山岳を単独行で登っていこうとする種類の辛さが、文章を書く中には確かに存在している。誰も通ったことの無い道を自ら進んで通っていけるもの。新しく生まれてくる文学には、そうした前提が必要なのだと思う。私はまだ先人の足で踏み慣らされた轍の前で、足踏みして居る。誰も通ったことのない、自分だけが知っている道が、見つからない。
 
 昨年十月末に応募した、第六十一回群像新人文学賞の最終選考通知はなかった。例年、二月中には連絡があるというのが公募界隈での定説であるから、選考の発表期間のことを鑑みても、最終選考には今回も残らなかった、と考えるのが妥当だ。読んだ人に徹底的に酷評された作品でもあったので、通るのは苦しいだろうと見ていたが、その通りになった。これを挫折と呼ぶのかは分からないが、七、八回と落選を繰り返すと感覚は徐々に麻痺してくる。落胆はしている、面と向かってお前には文を書く才能がない、と云われているようなものだから。作品を目の前でびりびりに破られることと同じだ。やり口がスマートになっただけのことだ。今頃、送った原稿は、何処かのゴミ箱に丸ごと入れられて、遠くの焼却場で恙なく焼かれて灰になっているだろう。
 
 何百回と本を読んでも小説というものが分からない。何十万字と文字を書いても、言葉が自分だけが表現しうる言葉にならない。月並み。云わんとしていることが、云えない。その内、云おうとしていたことが何だったかも、分からなくなってくる。ある人は、長い時間を掛けて小説がようやく分かった、という。自分にはどれだけ時間を掛けても小説というものが分かる気がまるでしない、生まれついた頭が悪かったんだろうか。
 時々、自分がどうして書いているのかが、発作的に分からなくなる時がある。小説家、と言う誰しもが知っている肩書きが欲しかった? 得られる賞金と、文筆家としての未来が? それによって手に入れられる新しい生活が? ――そんなものの為に、文章を書いているのだとしたら、それらを文章で手に入れようとする必然なんて何処にもなかった。普通に社会に出て、働いて、サラリーマンの肩書きを得て、堂々と社会で戦って手に入れれば良かったのだ。自分はそうはしなかった。社会から背を向け、溝板を這いずる鼠のようにのたうち回り、病を引き摺ったまま、書いてきた。出来なかった、という理由も少なからずあっただろうけれど、それ以上に、この袋小路に見える細い細い路に進んだのは、何処かできっと自分が選んできたからだ。このしみったれたような孤独の日々は、行き止まりの壁を思い切り蹴破るまで、どうすることも出来やしない。ただ現実を粛々と受け容れて、怖くても筆と共に進んでいくことの他に、路なんて最初からないのだ。
 
 新潮新人賞向けの原稿は、十二末から筆を執り始めてようやく六十枚を超えてきたところだ。筆が突然進まなくなることがあり、そういう時に本当に逃げ出したくなるような気持ちになる。けれども机から背を向けるようになったら、本当にお終いだとは誰が云わずとも分かる。年月が徐々に真綿で首を絞めるように迫ってくる。駄目になった原稿の束が積み重なる。生活はちっとも楽にはならない。相も変わらず病に苦しめられることに変わりは無い。そういう一切のものを代償としてよい、換わりに自分だけの言葉が欲しい。それが本当に見つかるのなら――、それを手に入れる為だけに、私は沢山のものを諦めて、掌で大事に握り締めようとしたものを、路端の排水溝に片っ端から擲ってきたのだから。
 
 苦しみと引き換えに、同じだけの言葉を。
 
 kazuma
 
 近況報告:再就業が決まりました。古本関係の仕事です。古本の仕事と個人でやっている一馬書房で最低限の糊口を凌ぎながら、何とか文章の道で生きていけるようになろうと、いまも、もがいています。同じように苦しみながら小説を書くひとと、共に目指す路を歩むことが出来ればと、思いながら。

 

f:id:kazumanovel:20180301170248j:plain

上記写真:筆者撮影。夕焼け色に染まる河。綺麗だと思った。河は昔から好きだ、何故かは分からないけれど)