虚構世界で朝食を

Breakfast at fiction world

答えを知っている人間は誰もいない

 ここのところ、中々思い通りにいかないことがあまりに多く、行き詰まっていた。何故だろう、といつも後ろを向きながら歩いている。何故、という問いは未来に向かって発することは出来ない。それは常に過去の事物を問題とするからだ。私は頭の中のどの部分を切り取っても前向きな人間では決してない。いつも後ろとか、横とか、斜めとか、そんな出鱈目な方向ばかりを向いている。それで、四方八方に向かって、何故、と赤子のように喚き散らしながら歩いている。言葉にならない言葉で呟いて。
 
 子供の頃から、自分の『何故?』に納得のいく答えを与えてくれる人を探していた。全ての答えを知っている人間がこの世の何処かに存在すると思っていた。今まで私の眼前を通り過ぎて行った人々、内側を通り抜けていった書物の言葉、唐突に人生の交差点に現れた壁、そういうものが答えを教えてくれると、心の何処かで信じていたようにも思える。自分の人生が何の為に存在することを許されているのか、どうして苦しみばかりの日々が続くのか、変えることの出来るものは何もないのか、ずっと独りで自分に向かって問い続けてきた。暮らしの中で会う人々にその問いの断片を投げかけてみたりもした。四半世紀を生きたいまの時点で出した結論はこうだった。答えを知っている人間は誰もいない。
 
 何十人、何百人と人が歩いている街路を歩くとき、そのことを思うと不思議な気分になった。都市の街並みを歩く人々はきっと、どうすれば生きていけるか(How?)という答えには上手に――巧みといってよいほど――答えられる。けれども、何故生きているか(Why?)に、明確な答えを持っている人は、恐らくそれほど多くはないはずだ。そんなことは問わなくても人間はやっていける。そんなことを問わない人間の方が、世の中を巧く渡っていく。
 
 信号の向こう側からやってくる大勢のひととすれ違う時、自分は彼らとは真逆の人間なのだということをいつも思う。まっとうな道から外れた側の人間だということを。彼らは未来に向かって歩いて行く、私は過去のことを思いながら白い横断歩道を反対側の通りへと俯いて渡り切る。振り返れば、都会のビル群の中へと消えていく人々が見える。私は人気のない路地の方へ向かって、鼠のようにこそこそと逃げるように歩いて行く。袋小路へとぶつかって、引き返す。道に迷う。誰の声も聞こえない。『何故』という言葉だけが、頭の中で反響を繰り返すように響いている。踏切の遮断機の向こうで列車が音を立てて駆け抜けていく。窓の向こうには乗客のいくつもの顔がある。自分が何処へ向かうのか、本当に知っている人間がいるのだろうか……。
 
 何故このような人生を送っているのか、と幾度となく問うた。答えは、誰も知らなかったし、まして自分が知っている訳はなかった。時々、私には人生がまるで他人事のように感じられることがあった。何故、と問うてみてもその先にあるものが何であるか、分からなかった。ただ疑問だけが墓標のように積み重なっていった。答えらしきものを一時手に入れても、次の人生の局面では粉々に壊れていた。紛い物の答えでは全く使い物にならなかった。独りで考えて答えが出る類いの問題でないことは、ここまで来れば、もう明らかだった。それから、あるときにふと思った。何故、と自分の身に当たり散らすように問い続けることはもう止めるべきなんだ、と。どれだけ理屈で考えても、人生そのものの意味を理解するようには、人間の頭は出来ていないのだと。
 
 例えば、あるひとつの不幸な出来事が人間の身に降りかかったとして、その出来事が起こった意味を正しく説明することなど誰にもできはしない。自分の人生がどうしても避けようのない行き詰まりへと導かれていて、袋小路から逃れる術を知らずにいる時、必要なのは過去へと向かう問いの『何故?(Why)』ではなくて、未来へと向かう『どうやって?(How)』なのだ。そんなことは街を歩く人々は、云われなくともとうの昔に知っているのだ。私は馬鹿だから、止めどなく溢れる『何故』が、尽きるところまで問わなくては、何にも分からなかった。人生を殆ど棒に振ったような地点まで行かなくては、何にも理解しようとしなかった。どれだけ頑張っても挽回することなど出来ない処まで落ち込んで、ようやく他人事みたいに感じていた人生が私の許に帰ってきた。
 
 私の未来にまともな未来がやってこないことだけは分かる。人生にはどれほど足掻いても変えることの出来ない種類の物事がある。元々こんな風に歩いて行くことが決まっていたんじゃないか、と思わせる雨粒たちが、道の途上に降り注ぐ。降り注ぐ雨から逃れる術はない。雨を留めておく方法など誰も知らない。そこに意味を問うても答える者はいない。ただ雨は雨として地に立つものの頭上に不平等に降り注ぐだけだ。きっと私の人生はとうに手遅れなのだと思う。マイナスに振り切れた人生が再びプラスに戻ることはない。それで構わない。私は道を外れていったひとに向かって話をする。同じ荒んだ景色を見ている人の為に言葉を使う。どうしようもなくへんな人間の隣を平気で並んで歩ける人に向かってなら、閉ざしていた唇を開いて、いくらでも話がしたくなる。自分と似た人生を歩まざるを得なかったひとたちに向かって、私は、私たちの為の物語を書く。自分の人生は、身を浮かばせる為に使おうとしても、もうどうにもならないだろう。どうせ無駄に終わる一生なら、同じ道を歩く人の元へ、その人の手許に自分の一冊の小説を預ける。その人が道のもっと先まで進んでいってくれるように。私なんかよりも、ずっと遠い処まで、言葉を連れて歩いて行ってくれるように。私が書きたかった小説とはきっとそういう種類のものなのだ。ここまでやってきてようやくそれが分かったような気がする。
 
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
 
kazuma
 

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現状と展望

 いまの自分の状況と頭の中身を整理したいので、書く。読むひとにとっては、kazumaの近況報告と受け取ってもらって構わない。一応、死なない程度には、生きている。近頃はいつもそんな感じだ。取り敢えず、生活が出来て、本が読めて、小説が書ければ、特に何の問題もない。人生の座標を絞ることにした。自分にコントロールできない範囲で起こる出来事に関しては、潔く諦めて流れに身を任せることにする。ただ自分にも変えることが出来るもの、自分の領域の中にある小説に関わるものだけは、何があろうと誰にも譲るつもりは全くない。
 
 まずは、生活のこと。昨年の年末から再就職に向けて動いていた。去年の十月から古書店『一馬書房』をはじめてみたのだけれど、二ヶ月ほど経って、明白に分かったことがひとつ。いまの自分の力量と体制では、古本屋一本で食べていく為にはハードルが高すぎるということ。勿論、何事も始めるときには厳しいものだけれど、これは生活に関わることだから悠長なことは言っていられない。とはいえ、古本の仕事そのものに関わり続けることは既に決めているので、一馬書房は継続しつつ、最低限度の定収入を得るために、古本に関わる別の仕事に就きたいと思っていた。
 
 ハローワークに何度も足を運んだ。最初の相談窓口にいたひとは「古本ねえ……」と暗にそんな求人はないことを態度で告げていたが、どうでもよい。ハローワークに足を運ぶ前に、事前に何十回も古本屋の求人に検索を掛けていた。年末年始は、ほぼ毎日のように探していて、クリスマスの翌日に浮ついた街を抜け、面白くもなんともない顔をして求人検索のパソコンの前に座っていたことを覚えている。相談員が示したことは事実で、古書店や古本屋の求人はほぼ存在しなかった。何度、グーグルの検索窓に打ち込んでも、求人サイトを巡回しても、ハローワークのパソコンを叩いても、出てくるのは東京のような遠方のもので、私が家から通うことのできる条件に適った求人は無かった。おまけに、私は自分の病に一定の理解がある就業場所を求めていた。前職と前々職では、病を隠したまま働いた。働きながら、自分が無理をしていることが分かっていた。仕事とはそういうものなのだろうけれど、合わないことは続かないことをずっと前に知っている。幸い、周囲のひとに恵まれたおかげで何とか抜けてきた。だが、今度は無理なく続けられるような場所で本に関わる仕事をしたかった。
 
 偶然、ある求人が検索に引っかかった。調べてみると、古本に関わる仕事で、通うことの出来る範囲内にあり、一般的な求人ではないけれど、それは私が探している条件を全て満たしていた。それから別の相談窓口から連絡を取っていただき、その就業場に見学にも向かった。きっとここだったら、という思いがあった。いまは就業のための手続きを行っている。おそらくそこで働くことになるように思う。何もかもを諦めるのは全部やってからだ。
 
 小説に関しては、いま新しい作品の執筆に手を染めたところだ。以前のものとは全く形式も内容も違うものが造りたかった。一人称の自分語りの系譜は、前作のもので一旦終わりにした。この小説は読み手のことを考えていない、とはっきり見抜いたひとがいて、殆ど自分のためだけに書いてきた小説の土台そのものから考え直すことになった。 
 自分の過ちのせいでその方とは疎遠になってしまったのだけれど、言葉のやりとりがもしなかったとしたら、自分は未だにエゴの塊のような小説を延々と膨らませ続けることになったと思う。いまは三人称で頭上から物語の出来事を見通すように、地上の『私』から一歩離れた視点で書くことを目指している。自分の為だけに書いた小説ではなく、読み手のひとに確かに届く言葉を探している。そして物語の登場人物や情景やストーリーが、淀みなく流れる為の言葉を連ねようと思っている。
 
 書き手とは、その虚構である物語と現実世界にいる読み手との繋ぎ手であって、一種の導管のようなものであり、その役割に徹することを命題として、いまは文章に向かっている。今度、造り上げるものこそ、ただのお話ではなくて、小説として認められるものを、という思いで。
 
 読書については最近は乱読している。読みかけの本が部屋中に散らばっていて、三十枚入りの栞を買って、片っ端から挟んでいる。書けば書くほど、自分の読書量の少なさに気付く。ともかく圧倒的に足りていないので、意識的にやっている。意識してやらないとプロに手が届くところまで全く追いつかない。読書は時間をかなり喰う行為ではあるけれど、それを気にしてやるものじゃない。集中して読んでいる間は現実のことなどまるっきり忘れている、部屋を出て街の空気を吸うと、外側の現実世界の方が私にとっては違和感を含むもので、都会のビル前の横断歩道を歩いている自分とはいったい何なのだろうかと不思議に思えて仕方が無い。文字を追っている時の方が素の自分である気がする、という転倒を迎えているが、そのくらいが物書きには相応しいはずだ。
 
 最終的に、私の人生はちゃんとしたひとつの小説を書く為にあるのだと思う。その滑走路が現実であって、小説を書くために現実が必要なら、いくらでも利用するし、必要とあれば現実の側の土台を整えることで、虚構を生み出す為の力とする。結局、両者は書き手にとっては繋がっているものなのだから、現実の生活をしっかり安定させることも、虚構を生み出すためには必要であるし、虚構の充実が、最期に還元された先にある現実にも必要であるのだと思う。そしてその導管の火花を切らさないように、言葉をノートに書きつけている。
 
 新しい小説のためのツバメノート、ポメラDM200、一太郎2017も購入した。本棚には自分が必要としている小説が並んでいる。執筆のための最高の環境を、自分の働いたお金で揃えた。誰にも文句なんか言わせない。
 
 今後の個人的な展望だけれども、物語を書くひとたちが繋がれる場が作れないかと思っている。書き手は個人ひとりで完結するものであるし、最終的にはもちろんそうなのだけど、互いに影響を与え合う中で学ぶものがあると思う。自分一人で閉じた世界の中にいては見えないものがあることを教えてくれたひとが、かつていた。いますぐにという話ではないけれど、いずれは現実の形にしたい。Twitterでも時々言及したり、同じ意見を持っているひとがいくらかいることを知っている。賛同してくれるひとが、この文章を読むひとの中にもいることを願っている。
 
 長くなったので、今日はここでおしまい。また。
 
 kazuma
 

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新年と小説の目標

 皆さん、明けましておめでとうございます。kazumaです。年が明けて三が日が終わり、いよいよ新しい年が始まっていきます。
 
 お正月は何だかあっという間に過ぎていきました。一年の計は元旦にあり、という言葉がありますが、私は目標をようやく今日立てたところです。叶いそうなもの、叶ってほしいもの、叶いそうにないものも全て含めて目標を立てました。謂わば願望のるつぼです。でも、取り敢えず書いておけば可能性は零から零以上のものに飛躍するとは思うので、毎年書いてます。二年前に書いた未来の年表があるのですが、お前それは無理だろう、と突っ込みたくなるものもあれば、実際この二年で叶ったものも実は多くあったので、書いてみるものだなと今日しみじみと見返していました。取り敢えず目標は立てるだけ立ててしまって、後から軌道修正なり、方向転換して現実と目標の距離を詰めていくものなのだと思っています。目印のようなもので、印をつけるのにお金も誰の許可も要りません。紙とペンと想像力さえあれば大丈夫、何だか小説の必要条件と似ていますね。というわけで、このブログの趣旨に沿う個人目標をいくつか載せていきます。
 
 <本年度、kazumaの個人的目標リスト>
 
 *小説部門
 
 @目標
 
 ・新潮新人文学賞 選考突破 【3月31日〆】
 
 ・群像新人文学賞 受賞(したい)【10月31日〆】
 
 ・プロと互角以上に渡り合える作品を造り上げること
 
 ・虚構と現実が等価性を持つ物語、虚構の中の人物・情景・ストーリーと現実を生きる読み手の世界が、文字を読んでいる間、交換可能で、没入でき、且つ頁を閉じた時に、何らかの変化を現実の読者にもたらすことができる作品世界を構築する。
 
 ・最初の一行から最後の了まで、必要のない文章が存在しない小説、読者を虚構世界の中に引きずり込む力を最終行まで保持し続ける物語を書く。
 
 
 @手段
 
 ・短編小説を複数製作し、試行錯誤を重ねた上で納得のいく形にして応募
 ・執筆に関わる時間を必ず一時間以上の枠として毎日設ける
 ・小説のアイデアを一日一つ、ノートに付ける
 ・大阪文学学校への入学(検討中)
 ・創作資料の読み込みを短時間でも継続して行っていく
 ・芥川龍之介カポーティ星新一の作品をどれか毎夜一編読む
 ・上記作者の作品の内、気に入ったものをそれぞれ研究
 ・KDP出版、年内に一作電子書籍
 
 小説関係の目標はまるっとこんな感じです、このブログのプロフィール欄にも掲げていますように、2019年3月31日迄に作家になりたければ、目標期日達成の為には最後の年になります。叶わなくとも書き続けることに変わりはないでしょうが、自分で設定したひとつの期日ですので、腹を括って書きます。一作、一行、一文字が、これで最期の作品になるのだと思う気持ちで。自分の文章でどこまでいけるのかを試したいのです。誰かの胸奥まで、言葉の切っ先が深く到達するように。心の部屋に隠した小箱の蓋を鍵でそっと開けるように。眼の底に沈んだ光景を再び浮き上がらせるように。結果は後からついてくるもののように思います。自分が本当に誰かに伝えたかったもの、伝える必要があったことを物語の形で開いて示すこと、それが私の望みです。黙っていても、願ったりしても、叶うものではないので、自分で書いて叶えます。
 
 いつもノートとペンと言葉の側に。
 
 kazuma
 

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青い蝶

今年は色々と変化のある年だった。公私ともに。月の一つひとつをつぶさに見て行けば、何の変化もなかったような時期も実はそれはそれで必要だったのだと分かる。五月末の退職、十月から始めた古書店『一馬書房』、夏の九州旅行や冬の東京旅行、一年越しの群像向け作品の完成と応募。文藝賞落選。再就職の口探し。終わってみれば、通りに木枯らしが吹いて落ち葉が散っていくのを見ていたようなそんな気もする。五月の桜の青々とした葉もあれば、十月の銀杏のような黄色い綺麗な葉っぱもあった、もう随分と茶色くなって枯れていきそうな葉も、じっと見つめていた。まるで煙草の火に当てられて黒くひしゃげたその形をいつまでも眺めていた。それでもやはり私の感覚としては全て過ぎ去っていって、流れたまま何処かへ――もう手の届かないところへ――行ってしまうのだなと公園や街路のベンチに腰掛けるようにして、思っている。年の終わりには何故かいつも哀しくなる。勿論、今年に何にもなかった訳ではないし、手元に残ったものやこれからも関わっていくひともいるのだけれど、云いたいことはそういうことではなくて、物事はただ終わってしまうのだなという、ホールデン・コールフィールドが学校から、友達から、親から、妹から、社会から、去って行く、その眼が観たような一種の惜別を自分の裡に囲っているような、そんな眼で世の中を見つめて歩いていったら、ここから先にあるものはいったい何なのだろう、その先に何があるのだろうと不安になったりする。
 
善いことだって沢山あったはずなのに、思い出そうとするといつも哀しい思い出の方が先立つのは何故なのだろう。私がそもそも小説を書き始めたのは、あまりにも哀しいことが身に降りかかりすぎたからで、自分の持っているものを殆どと云ってよいほど奪われる体験をしたからで、その前後で私という人間はまるで別の人間になったように思うことがある。それは事実そうだったし、そうなるように願っていたかも知れない。かつて、大学のある友人にお前は暗くなった、と云われた。昔を知っている人間がいまの私を見て話をしたら、間違いなく違和感に気付くだろう。見た目も変わった、いつからか物憂い気分は晴れなくなって、それが通常になった。それから随分と憂き目に遭いながら、破れかぶれで病に罹った後の五年間を生き延びて来た。どこでいつ線が切れてもおかしくなかったし、時々切ってしまいたくもなった。それでも何とか細い細い綱の上を、馬鹿みたいに先に何かがあると信じて渡ってきた。信じた糸は言葉だけだった。そうやって伸びていく糸の端をずっとひとりで握り締めていた。誰がもう一方の端を握っているのか、私は知らない。
 
何故このようなことを書いているのか、自分でも分からないし、あまり分かりたくもない。多分、五年前に橋の上に立っていたからだろう。書いてきた小説は昔のことばかりだ。どうにかして昔の自分を助ける言葉を見つけたかった。けれどもいまの自分を助ける言葉も見つけていない人間にそんな言葉は吐けなかった。いまもずっと出口を探し続けているけれど、答えが見えない真っ暗な暗室の中を歩いている心地がする。必死に書いた作品は、ある尊敬していたひとに徹底的に酷評された。応募した文藝賞には門前払いを喰った。はじめたばかりの古書店『一馬書房』は正直なことを云うと、あまりうまくいっていない。自分はいったい何をやってきたのだろう。才能もなく努力も足りないのかとうんざりした。生きることに割に合うことなんて何一つないなと思った。
 
本当は明るい記事を書くつもりだった。辛い事なんて何にもない、あっても大したことない、大丈夫なんだと振る舞って、来年の目標や抱負も書いたりしてみたかったのだけれど言葉は時々言うことを聞かなくなる。自分の全く思ってもいないことは書こうと思えば書ける。これまでに書いたブログの記事の中にいくつかそういうものはある。でも、本当に言うことを聞かなくなる時が、小説に限らず文章を長く書く人間の中には誰しもに訪れて、そういう時にはただ言葉に従う、従うしかなくなる。そういう時の自分はいったい誰に向かって話しているか、誰に向かって書いているのか、誰がこの文章を書かせているか、分からなくなる。ただ言葉の羅列が象るように指の先から流れていくのを見つめている。
 
どんな文章も誰かに読んで貰うためにある、言葉の向こう側にひとが居る、ということを今年教えてくださった方がいた。本当に迷惑を掛けながら、お世話になったのだけれど、じゃあその向こう側にいる人間とは誰なのか、ということを自分はまだよく分かっていない。今までの作品は自分の為に、ある意味では自分の為だけに書いていたようなところが多分にあった。元々私が文章を書き始めたのは、当時、他に自分を表現するような手段が何一つ見つからず、あらゆるものが制限された病棟のような場で選べるものは、それしかなかったからだ。自分の為に文章を書けば、自分と似たひとはきっと分かってくれるし、自分を助ける言葉が見つかれば、その似たひとも助けられると傲慢にも思っていた。五年書いて最終的に出来上がったのは、歪んだ自意識が生み出したような黒い繭に過ぎなかった。そんな物語では恐らく誰の助けにもならないし、まして当初の目的である自分が生きていくことを助ける文章にはならない。生まれてくるのは美しい蝶ではなく偽物の蛾の類いだろう。それでも私はこの作品さえ、ある部分では愛おしく思う。言葉にならないものが少しは言葉になったから。誰にも分かって貰えなくても、ペンだけは折るつもりはない。誰に向かって書いているのか分からなくなるところまで、来年はきっと書くだろう。その先に誰がいるのかを私は見たい。いつか言葉のサナギが青い羽を持って指先から飛び立つような瞬間に、それはきっと分かる。
 
電子書籍化した作品も元々は自分のために書いたものだったけれども、どちらも何度かリライトをして、読む人が楽しめるように、あるいは読みやすいようにと思って修正を掛けたものを提出している。数人の人にしか見せていない今年群像に応募した黒い繭のような作品は、リライトしていない。三月末〆の新潮向け作品が書き上がり、群像の結果が出て一段落した頃に、落ち着いてやろうと思っている。
 
このブログのプロフィール欄に掲げているように、2019年3月31日迄に作家になることを私は目標にしている。本当にそれを叶えようと思ったら、弾はあと残り二発しかない。2018年3月31日〆の新潮新人文学賞、そして2018年10月31日〆の群像新人文学賞。それが間に合う為の最終ボーダーライン。一発目の弾の結果は2018年4月初旬に分かる。セーフティネット(救済措置)として、再来年の目標期限日である2019年3月31日〆の新潮応募と黒い繭のような物語を改稿したフルバージョンを2019年の頭に撃つことを考えているが、それで仕留められなければ人生そのものを考え直すことになる。だから迎える年は、目標達成の為の最期のデッドライン。
 
来年で小説を書き始めて六年目となる。この年に結果を出せなければ自分は終わりだという思いで、ペンを握って文章で何処まで行けるかをやってみる。このまま終わったらただの犬死にだから。誰だっていつかは人生で一か八かの勝負をしなきゃいけない。賽の目がそれでひっくり返るかは分からない。それでも、ひとに何と云われようと自分はいつか文章で生きていくのだと、誰もいない五年前の病棟の中で信じていたし、いまもそれだけを信じている。言葉の先が何処へ連れて行くのかなんて知らない、何処へでも連れて行けばいい、その為になら何だって差し出す。物語の神様がもし存在しているのなら、自分の魂を明け渡してもいい。人生でちゃんとした一篇の小説が書けるのだとしたら、他に本当に望むものなんて何にもない。
 
十二月の風が吹いて、通りから人々は去り、葉っぱ一枚残らない。そんな場所に立っていても、いつか見えない言葉の蝶が指先から現れて、たったひととき、青い羽根を広げて、自由に踊るように宙を舞う。そんな瞬間だけを夢見ている。
 
kazuma
 

帰還

東京から戻ってきて、ようやく落ち着いた。実りの多い東京旅行だった。行きたかったところへ行って、会ってみたいひとに会った。それだけでもう十分なくらい、東京に行く意味はあったのだと思う。勿論、良いことばかりではなかったのだけれど、このタイミングを逃せば、きっと東京にはもう行けなかった。五日間という長い期間は取れないだろう。一人だけ会いそびれた友人がいたが、またいつか東京に行ける時が来れば会えたら良いなと思っている。物事にはきっとタイミングというものがあって、そういうものはちょっとした巡り合わせのようなものなのだ。ひとつ別の角を曲がれば全く違うひととすれ違うように、誰かと会うということは、人間が決められるようで、実はそうではないのかもしれない。一番大元まで辿って行けば、そこには誰がいるのかということをSFチックに考えたりもするが、知り合うきっかけは偶然であっても、その後を決めるのは人間なのだと思うし、そう信じてもいたい。
 
東京で向かった先はいくつかあるが、三日間は神保町界隈をうろついていた。本の街は、暖かく私を迎えてくれた、ような気がする。靖国通りには古本屋だらけで、街路を歩くだけで気持ちが弾んだ。道を歩いていて気持ちが弾むことなんて滅多にないので、私にとっては特別なことだった。学生の頃に通わなかったことを後悔したが、これもタイミングというものなのだろう。本に関わって、小説に眼が開かれていなかったら、神保町はただの東京の街のひとつにしか映らない。けれども、いまの私にとっては夢の国のようだった。少なくとも千葉にある某夢の国よりはずっと気が利いていた笑 この街ならいくらでも時間を過ごせたし、いくら軍資金を持ち歩いていても足りなかった。次から次へと矢継ぎ早に古本屋に入って行って、欲しい本は掘れば掘るほど出てくる。何なんだこの街は、と浮かれた足で歩くが、財布も軽くなってくるので、これはまずいと思って途中から自粛した。大阪に持ち帰ることも考えて八冊程度にしておいたけれど、東京近辺に住んでいたら毎日通っても飽きることはなさそう。
 
神保町の喫茶店も結構巡った。最初に入ったお店は喫茶ラドリオ。神保町に古くからある喫茶で、昔の文人たちがこぞって通ったそうだ。テレビでも特集で取り上げられていた。普段純喫茶に入る機会もないのだが、勇気を出して扉をくぐってみた。ウインナーコーヒーをはじめて出したお店だそうで、これが信じられないほど美味しかった。こんなに旨いコーヒーを本当に飲んだことがなかった。ランチのナポリタンを頂いて、退店。こんど東京に来るときは必ず来ようと思った。昔の文人たちが通った理由もなんとなくわかるような気がした。店内は落ち着いた会話を交わすひとたちで賑わっていた。こんなところで文学談義が出来るような大人になれたら最高だろうなと思う。
 
古本を色々調達してから今度は喫茶伯剌西爾(ブラジル)へ。禁煙席に入ると、静かな店内。ここでも珈琲がすごく旨い。神田ブレンドというのだそうだ。苦味が良く利いていながらもまろやか。ケーキセットのチーズケーキが絶品で、至福のひととき。このお店で一番よかったのはその静けさで、読書が尋常でないほど捗る。小林秀雄の『ゴッホの手紙』を持ち込んでいて、読んだ内容をはっきりと覚えていた。それくらい集中して読める。ひとり読書におすすめのスポット。
 
また神保町駅前に壹眞珈琲店(かづまコーヒー店)というお店があり、名前の縁もあってこれは入ってみるしかない、と思って寄ってみた。本格的な珈琲店で、お値段的にも私が気軽に入れる感じではなかったのだけれど、一杯ずつ心を込めて淹れる店員さんの様子が伝わり、これこそ喫茶店なのだろうなと、見て思った。勿論、珈琲は格別に旨い。喫茶店の小説描写の参考にしようと思うほど、良い店だった。
 
期せずして何故か喫茶店レポのような記事になってしまって本来の趣旨から外れてしまったような汗 そもそも何故喫茶店巡りをしたのかというと、神保町でひとと会う予定が会ったから。今年の同時期に、古本屋をはじめることをTwitterで話した方が居て、その方は先にお店を始められていた。後から追いかける形で古書店『一馬書房』を開店したのだけれど、もう当分東京へ行ける機会もないだろうし、ご挨拶だけでもさせて頂こうと思っていた。では神保町で、ということでお願いしてみた。その方にも会うことが出来てほんとに良かったと思う。向かったお店は前述のお店ではなく、三省堂書店の中にある上島珈琲店。結局どんな街にいようが、書店の中が一番落ち着く笑 お会いしてみてとても楽しくお話をした、はじめた古本屋のことや小説のこと。東京行きの印象的な思い出のひとつになった。またいつか東京に来た時にお会いできることを楽しみにしている。
 
東京では高校時代からの友人や、大学生の頃の友人とも久々に会った。二人とも元気そうで、東京の街で仕事をしながら日々を送っている。こちらは何とか死なない程度に生きていることを伝えた。東京の友達と会う時はいつもそんな感じだ。生まれて初めて作ってみた一馬書房の名刺を渡して、古本屋をはじめたことや近況を報告した。話は自然とほかの友人達のことになった。あいつは元気でやっているか、この前某と会った、今度誰々が結婚する……。ひとと会ってみると、会わないと分からないことが分かったりする。自分が大阪にいる友人と、東京に居る友人を少しでも繋げられるような役割を果たせればなと思っていた。卒業して皆ばらばらに散って、はいそれで終わりなんて、あまりにも呆気なさすぎる。それで終わるような友人も多くいたけれど、そうでない友人だって指で数えるくらいは居る。こちらに繋がりたいという意思があって、それを相手にちゃんと伝えていれば、巡り合わせというものはやってくるのだと思っている。それでも会えなかったり、会わなかったりしたとしたら、元々縁がなかったか、もうその縁が切れてしまっているのだろう。
 
だから時々、ひとがひとと会うとはどういうことかを考えたりする。そのテーマは前回の群像向けの小説にも、この前、電子出版した『時計の針を止めろ』にも少し盛り込んだつもり。会いたいと思っても会えるわけじゃなかったり、こちらがそう思っていても向こうはそうは思っていないということもある。逆に、会いたくないと思っていた人に偶然出くわしたり、会えるわけがないと思っていたひとに突然会ったりすることだってある。何がどこで繋がるかなんて人間の理解の範疇を超えている。終わりだと思っていたことがはじまりだったり、はじまりだと思っていたことが終わりだったり。東京の街はまさにそんなことを考える象徴の街だった。
 
でも、この街のどこかにかつての私たちはいて、ばらばらに散ったいまもそれぞれの通りを何処かに向かって歩いているのだと思うと、ほんの少しだけ足が軽くなった。
 
東京は冷たい街でも、そこで生きて歩いている人たちまで冷たくなってしまった訳ではなくて(すれっからしのようなひともそりゃいるけれど)会って話をしてみれば同じ言葉を話すひとなのだということ、住んでいる環境が違っていても伝わるものはちゃんと伝わるのだということを、理解したような気がする。何だか遠い異国のように東京を書いたが、私にとってはやはり憧れだった街であることに変わりはない。今度戻る時には作家として、という大それた望みを胸の奥に秘めながら、きょうもちまちまと文字を書いている。いつか言葉のレールが東京に届くまで。
 
kazuma
 

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お知らせ:kazumaからのクリスマス・プレゼントがあります。何度もお知らせするようで申し訳ないですが、電子書籍著作の新作『時計の針を止めろ』と旧作『私はあなたを探し続ける』がKindleストアにて両作品とも無料でダウンロードできます。告知じゃないかと突っ込まれそうですが、一生懸命書いた作品たちなので、どうぞ受け取ってください。明日の26日16時59分までやってます。アマゾンのサイトで作品名を入力するか、著者名の『武内一馬』と入力すると作品頁が出ます。一応、下にもリンク貼っておきますのでよろしければ、どうぞ。メリー・クリスマス。
 
時計の針を止めろ

時計の針を止めろ

 

 

私はあなたを探し続ける

私はあなたを探し続ける