虚構世界で朝食を

Breakfast at fiction world

答えを知っている人間は誰もいない

 ここのところ、中々思い通りにいかないことがあまりに多く、行き詰まっていた。何故だろう、といつも後ろを向きながら歩いている。何故、という問いは未来に向かって発することは出来ない。それは常に過去の事物を問題とするからだ。私は頭の中のどの部分を切り取っても前向きな人間では決してない。いつも後ろとか、横とか、斜めとか、そんな出鱈目な方向ばかりを向いている。それで、四方八方に向かって、何故、と赤子のように喚き散らしながら歩いている。言葉にならない言葉で呟いて。
 
 子供の頃から、自分の『何故?』に納得のいく答えを与えてくれる人を探していた。全ての答えを知っている人間がこの世の何処かに存在すると思っていた。今まで私の眼前を通り過ぎて行った人々、内側を通り抜けていった書物の言葉、唐突に人生の交差点に現れた壁、そういうものが答えを教えてくれると、心の何処かで信じていたようにも思える。自分の人生が何の為に存在することを許されているのか、どうして苦しみばかりの日々が続くのか、変えることの出来るものは何もないのか、ずっと独りで自分に向かって問い続けてきた。暮らしの中で会う人々にその問いの断片を投げかけてみたりもした。四半世紀を生きたいまの時点で出した結論はこうだった。答えを知っている人間は誰もいない。
 
 何十人、何百人と人が歩いている街路を歩くとき、そのことを思うと不思議な気分になった。都市の街並みを歩く人々はきっと、どうすれば生きていけるか(How?)という答えには上手に――巧みといってよいほど――答えられる。けれども、何故生きているか(Why?)に、明確な答えを持っている人は、恐らくそれほど多くはないはずだ。そんなことは問わなくても人間はやっていける。そんなことを問わない人間の方が、世の中を巧く渡っていく。
 
 信号の向こう側からやってくる大勢のひととすれ違う時、自分は彼らとは真逆の人間なのだということをいつも思う。まっとうな道から外れた側の人間だということを。彼らは未来に向かって歩いて行く、私は過去のことを思いながら白い横断歩道を反対側の通りへと俯いて渡り切る。振り返れば、都会のビル群の中へと消えていく人々が見える。私は人気のない路地の方へ向かって、鼠のようにこそこそと逃げるように歩いて行く。袋小路へとぶつかって、引き返す。道に迷う。誰の声も聞こえない。『何故』という言葉だけが、頭の中で反響を繰り返すように響いている。踏切の遮断機の向こうで列車が音を立てて駆け抜けていく。窓の向こうには乗客のいくつもの顔がある。自分が何処へ向かうのか、本当に知っている人間がいるのだろうか……。
 
 何故このような人生を送っているのか、と幾度となく問うた。答えは、誰も知らなかったし、まして自分が知っている訳はなかった。時々、私には人生がまるで他人事のように感じられることがあった。何故、と問うてみてもその先にあるものが何であるか、分からなかった。ただ疑問だけが墓標のように積み重なっていった。答えらしきものを一時手に入れても、次の人生の局面では粉々に壊れていた。紛い物の答えでは全く使い物にならなかった。独りで考えて答えが出る類いの問題でないことは、ここまで来れば、もう明らかだった。それから、あるときにふと思った。何故、と自分の身に当たり散らすように問い続けることはもう止めるべきなんだ、と。どれだけ理屈で考えても、人生そのものの意味を理解するようには、人間の頭は出来ていないのだと。
 
 例えば、あるひとつの不幸な出来事が人間の身に降りかかったとして、その出来事が起こった意味を正しく説明することなど誰にもできはしない。自分の人生がどうしても避けようのない行き詰まりへと導かれていて、袋小路から逃れる術を知らずにいる時、必要なのは過去へと向かう問いの『何故?(Why)』ではなくて、未来へと向かう『どうやって?(How)』なのだ。そんなことは街を歩く人々は、云われなくともとうの昔に知っているのだ。私は馬鹿だから、止めどなく溢れる『何故』が、尽きるところまで問わなくては、何にも分からなかった。人生を殆ど棒に振ったような地点まで行かなくては、何にも理解しようとしなかった。どれだけ頑張っても挽回することなど出来ない処まで落ち込んで、ようやく他人事みたいに感じていた人生が私の許に帰ってきた。
 
 私の未来にまともな未来がやってこないことだけは分かる。人生にはどれほど足掻いても変えることの出来ない種類の物事がある。元々こんな風に歩いて行くことが決まっていたんじゃないか、と思わせる雨粒たちが、道の途上に降り注ぐ。降り注ぐ雨から逃れる術はない。雨を留めておく方法など誰も知らない。そこに意味を問うても答える者はいない。ただ雨は雨として地に立つものの頭上に不平等に降り注ぐだけだ。きっと私の人生はとうに手遅れなのだと思う。マイナスに振り切れた人生が再びプラスに戻ることはない。それで構わない。私は道を外れていったひとに向かって話をする。同じ荒んだ景色を見ている人の為に言葉を使う。どうしようもなくへんな人間の隣を平気で並んで歩ける人に向かってなら、閉ざしていた唇を開いて、いくらでも話がしたくなる。自分と似た人生を歩まざるを得なかったひとたちに向かって、私は、私たちの為の物語を書く。自分の人生は、身を浮かばせる為に使おうとしても、もうどうにもならないだろう。どうせ無駄に終わる一生なら、同じ道を歩く人の元へ、その人の手許に自分の一冊の小説を預ける。その人が道のもっと先まで進んでいってくれるように。私なんかよりも、ずっと遠い処まで、言葉を連れて歩いて行ってくれるように。私が書きたかった小説とはきっとそういう種類のものなのだ。ここまでやってきてようやくそれが分かったような気がする。
 
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
 
kazuma
 

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