虚構世界で朝食を

Breakfast at fiction world

帰還

東京から戻ってきて、ようやく落ち着いた。実りの多い東京旅行だった。行きたかったところへ行って、会ってみたいひとに会った。それだけでもう十分なくらい、東京に行く意味はあったのだと思う。勿論、良いことばかりではなかったのだけれど、このタイミングを逃せば、きっと東京にはもう行けなかった。五日間という長い期間は取れないだろう。一人だけ会いそびれた友人がいたが、またいつか東京に行ける時が来れば会えたら良いなと思っている。物事にはきっとタイミングというものがあって、そういうものはちょっとした巡り合わせのようなものなのだ。ひとつ別の角を曲がれば全く違うひととすれ違うように、誰かと会うということは、人間が決められるようで、実はそうではないのかもしれない。一番大元まで辿って行けば、そこには誰がいるのかということをSFチックに考えたりもするが、知り合うきっかけは偶然であっても、その後を決めるのは人間なのだと思うし、そう信じてもいたい。
 
東京で向かった先はいくつかあるが、三日間は神保町界隈をうろついていた。本の街は、暖かく私を迎えてくれた、ような気がする。靖国通りには古本屋だらけで、街路を歩くだけで気持ちが弾んだ。道を歩いていて気持ちが弾むことなんて滅多にないので、私にとっては特別なことだった。学生の頃に通わなかったことを後悔したが、これもタイミングというものなのだろう。本に関わって、小説に眼が開かれていなかったら、神保町はただの東京の街のひとつにしか映らない。けれども、いまの私にとっては夢の国のようだった。少なくとも千葉にある某夢の国よりはずっと気が利いていた笑 この街ならいくらでも時間を過ごせたし、いくら軍資金を持ち歩いていても足りなかった。次から次へと矢継ぎ早に古本屋に入って行って、欲しい本は掘れば掘るほど出てくる。何なんだこの街は、と浮かれた足で歩くが、財布も軽くなってくるので、これはまずいと思って途中から自粛した。大阪に持ち帰ることも考えて八冊程度にしておいたけれど、東京近辺に住んでいたら毎日通っても飽きることはなさそう。
 
神保町の喫茶店も結構巡った。最初に入ったお店は喫茶ラドリオ。神保町に古くからある喫茶で、昔の文人たちがこぞって通ったそうだ。テレビでも特集で取り上げられていた。普段純喫茶に入る機会もないのだが、勇気を出して扉をくぐってみた。ウインナーコーヒーをはじめて出したお店だそうで、これが信じられないほど美味しかった。こんなに旨いコーヒーを本当に飲んだことがなかった。ランチのナポリタンを頂いて、退店。こんど東京に来るときは必ず来ようと思った。昔の文人たちが通った理由もなんとなくわかるような気がした。店内は落ち着いた会話を交わすひとたちで賑わっていた。こんなところで文学談義が出来るような大人になれたら最高だろうなと思う。
 
古本を色々調達してから今度は喫茶伯剌西爾(ブラジル)へ。禁煙席に入ると、静かな店内。ここでも珈琲がすごく旨い。神田ブレンドというのだそうだ。苦味が良く利いていながらもまろやか。ケーキセットのチーズケーキが絶品で、至福のひととき。このお店で一番よかったのはその静けさで、読書が尋常でないほど捗る。小林秀雄の『ゴッホの手紙』を持ち込んでいて、読んだ内容をはっきりと覚えていた。それくらい集中して読める。ひとり読書におすすめのスポット。
 
また神保町駅前に壹眞珈琲店(かづまコーヒー店)というお店があり、名前の縁もあってこれは入ってみるしかない、と思って寄ってみた。本格的な珈琲店で、お値段的にも私が気軽に入れる感じではなかったのだけれど、一杯ずつ心を込めて淹れる店員さんの様子が伝わり、これこそ喫茶店なのだろうなと、見て思った。勿論、珈琲は格別に旨い。喫茶店の小説描写の参考にしようと思うほど、良い店だった。
 
期せずして何故か喫茶店レポのような記事になってしまって本来の趣旨から外れてしまったような汗 そもそも何故喫茶店巡りをしたのかというと、神保町でひとと会う予定が会ったから。今年の同時期に、古本屋をはじめることをTwitterで話した方が居て、その方は先にお店を始められていた。後から追いかける形で古書店『一馬書房』を開店したのだけれど、もう当分東京へ行ける機会もないだろうし、ご挨拶だけでもさせて頂こうと思っていた。では神保町で、ということでお願いしてみた。その方にも会うことが出来てほんとに良かったと思う。向かったお店は前述のお店ではなく、三省堂書店の中にある上島珈琲店。結局どんな街にいようが、書店の中が一番落ち着く笑 お会いしてみてとても楽しくお話をした、はじめた古本屋のことや小説のこと。東京行きの印象的な思い出のひとつになった。またいつか東京に来た時にお会いできることを楽しみにしている。
 
東京では高校時代からの友人や、大学生の頃の友人とも久々に会った。二人とも元気そうで、東京の街で仕事をしながら日々を送っている。こちらは何とか死なない程度に生きていることを伝えた。東京の友達と会う時はいつもそんな感じだ。生まれて初めて作ってみた一馬書房の名刺を渡して、古本屋をはじめたことや近況を報告した。話は自然とほかの友人達のことになった。あいつは元気でやっているか、この前某と会った、今度誰々が結婚する……。ひとと会ってみると、会わないと分からないことが分かったりする。自分が大阪にいる友人と、東京に居る友人を少しでも繋げられるような役割を果たせればなと思っていた。卒業して皆ばらばらに散って、はいそれで終わりなんて、あまりにも呆気なさすぎる。それで終わるような友人も多くいたけれど、そうでない友人だって指で数えるくらいは居る。こちらに繋がりたいという意思があって、それを相手にちゃんと伝えていれば、巡り合わせというものはやってくるのだと思っている。それでも会えなかったり、会わなかったりしたとしたら、元々縁がなかったか、もうその縁が切れてしまっているのだろう。
 
だから時々、ひとがひとと会うとはどういうことかを考えたりする。そのテーマは前回の群像向けの小説にも、この前、電子出版した『時計の針を止めろ』にも少し盛り込んだつもり。会いたいと思っても会えるわけじゃなかったり、こちらがそう思っていても向こうはそうは思っていないということもある。逆に、会いたくないと思っていた人に偶然出くわしたり、会えるわけがないと思っていたひとに突然会ったりすることだってある。何がどこで繋がるかなんて人間の理解の範疇を超えている。終わりだと思っていたことがはじまりだったり、はじまりだと思っていたことが終わりだったり。東京の街はまさにそんなことを考える象徴の街だった。
 
でも、この街のどこかにかつての私たちはいて、ばらばらに散ったいまもそれぞれの通りを何処かに向かって歩いているのだと思うと、ほんの少しだけ足が軽くなった。
 
東京は冷たい街でも、そこで生きて歩いている人たちまで冷たくなってしまった訳ではなくて(すれっからしのようなひともそりゃいるけれど)会って話をしてみれば同じ言葉を話すひとなのだということ、住んでいる環境が違っていても伝わるものはちゃんと伝わるのだということを、理解したような気がする。何だか遠い異国のように東京を書いたが、私にとってはやはり憧れだった街であることに変わりはない。今度戻る時には作家として、という大それた望みを胸の奥に秘めながら、きょうもちまちまと文字を書いている。いつか言葉のレールが東京に届くまで。
 
kazuma
 

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お知らせ:kazumaからのクリスマス・プレゼントがあります。何度もお知らせするようで申し訳ないですが、電子書籍著作の新作『時計の針を止めろ』と旧作『私はあなたを探し続ける』がKindleストアにて両作品とも無料でダウンロードできます。告知じゃないかと突っ込まれそうですが、一生懸命書いた作品たちなので、どうぞ受け取ってください。明日の26日16時59分までやってます。アマゾンのサイトで作品名を入力するか、著者名の『武内一馬』と入力すると作品頁が出ます。一応、下にもリンク貼っておきますのでよろしければ、どうぞ。メリー・クリスマス。
 
時計の針を止めろ

時計の針を止めろ

 

 

私はあなたを探し続ける

私はあなたを探し続ける