虚構世界で朝食を

Breakfast at fiction world

未来の出口

 これまでのことを少し振り返る。五月に入ってから、自分が先送りにしてきた問題が、一度に現れて随分と参っていた。これからの仕事のこと、家族との関係、書いた小説のこと、ひととの関わり……。会う人、会う人に、あまり思い詰めるな、お前は堅苦しく考え過ぎるんだ、と云われた。元々、私はくよくよと思い悩む質だから(その性質にも良さがあることを分かってはいるつもりだけど)、またこうして書きながら考えている。
 
 ひとの輪の中から離れて、落ち着いて身の回りのものごとを整理する時間が、どうしても必要な人間だった。ひとりで居るのが昔から一等落ち着く性分で、その癖、ひとのいるところに行くと淋しくって仕方ない。そういう風に生まれついたのだろう。けれども、この社会で生きていこうと思ったら、誰かと関わり合いながら、生きていかなくてはならない。いつまでも観念のパンを食べて、文字の葡萄酒を呑んでいる訳にはいかないのだ。社会人なら誰もが覚悟していることが、未だに分からないでいる。大人にはなり切れず、子どもとは決して呼べない年齢で、地に足が付かないでふらふらしている。このままではどうにもならないと分かっていても、出口が見つからない。いまもひとのいない休憩所で、安っぽいパイプ椅子に腰掛けて未来について思い悩んでいる。いい年をした大人がやるようなことじゃない。出口がこんなところで見つかる訳がないと、分かってはいる。
 
 この月は、できる限り自分の苦手な部分を克服しようと、無理にでも人前に出る機会を増やした。自分としては割と努力してみた面もある。ただ何というか、片っ端から釘の頭を打たれたように凹んでいた。あるひとは、それは場数を踏めば分かっていくことだ、と云った。でも恐らく、何の努力もなしにただ年齢だけを重ねて分かるのではないことは、そのひとを見ていれば分かった。汗水を流して社会の中でもがいたからこそ、そのひとがそのひとになれたのだと云うことは。
 
 これまでの私は、本の言葉さえ知っていればよいと、それで一冊の物語が書けるのなら、それでいいと思っている節があった。現実なんて端から諦めていた。でも物語を書く為には、生きていかなくてはいけない。自分の思い描いた小説を書けるようになる為には、文章を磨く為の時間も、小説の糧にする人生経験も、生活していくための資金も、皆、必要だった。生きることよりも先に書くことがある、とずっと思ってきた。自分の生活よりも、ちゃんとしたものを書き残すことの方が大事だと、いまでもそう思う部分はある。けれども、極端な思想は人を痛め付けて、そのひとらしさを殺してしまう。何よりも言葉が、ただの嘘になる。
 
 出口が見えないなりに、いままでやってきた。何度トンネルを抜けたつもりになっても、自分は変わらないままだった。周りだけが変わっていった。文字の渦の中で泳いだって、端から見れば観念の中で遊んでいるようにしか見えないし、事実そうなのだろう。自分に欠けているのは世で生きていくための努力なのかもしれない。
 
 作家になる夢を諦めるつもりはない。ひとにどれだけ嗤われても、書いたものを貶されても、自分の人生を救ってくれたものを手放したりはしない。その為に惨めな一生を送ることになってもよい。元々、本がなければいまの人生さえなかった。どうせ拾いものの一生なら、ちゃんとした一冊の本が書けるようになるまで、足掻いてみたい。小説を書く為に、ひとの輪の中で生きていくことが必要だというなら、その代償もいずれ支払わなくてはならないだろう。ほんとうによいものを書く為なら、泥を被ってでも生き延び、どんなこともする覚悟と云うか、勇気が、欠けていた。少なくとも、いままでの自分にそれはなかった。いつか、書き上げてしまえばそれで終わりだ、と心の何処かで思ってきた。書き上げても書き上げても、文章は認められず、時間だけが進んでいった。終わらなかった。何の為にこの人生は与えられているのだろうと、ずっと思っていた。ひとと会う度に恥と痛みばかりを覚えた。色んな人の背中が遠ざかっていくのを唇を噛んで見つめていた。
 
 具体的な話になるけれど、ひとりの大人が最低限、社会で生きていく為の食い扶持を、古本の仕事を通して稼げるようにならなくてはいけないだろうということ。世の中のどのようなひととも、少なくとも仕事を進める上で支障にならないほどに、コミュニケーションを取れるようになること。現実に関わる誰かと信頼関係をきちんと築き上げること。自分の居場所を本の中にではなく、現実の中に見出すこと。現実の苦しみを知らない人間に、虚構の美しさは生み出せない。自分の言葉にはなってくれない……。
 
 世の中の人が当たり前に出来ていることが自分には出来なかった。端から諦めて生きてきた。片っ端から疑うことで、小さな自己を守り続けた。疑うことだけでは、ひとは生きていけなかった。虚構の中だけでなく、この生きている現実の中に信じられるものごとを見つけられなかったら、希望は喪われてしまう。ニヒリズムの思想だけでは、いずれ行き詰まる時が来る。自分は事情があって、そのように育った。そうしなければ自分を守れなかった。閉じることで生き延びた面も確かにあった、ただいつまでも閉じ続ける訳にはいかない。全ての殻は割られる時を待っている。知恵の蛇は偽りの皮を脱ぎ捨てることで蘇る。
 
 虚構世界で朝食を取りたいなら、現実の世界できちんと朝食が取れるようにならないと駄目だ。いつかトルーマン・カポーティが描いた世界に近付けるように。

"Anyway, home is where you feel at home. I'm still looking."
 
――でもね、腰をすえることの出来る場所が、すなわち故郷よ。私はそんな場所をいまだに探し続けているのよ。

 

 kazuma

 

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