虚構世界で朝食を

Breakfast at fiction world

物語の林檎

 こんばんは、kazumaです。今日は近況報告ということでブログを書きます。ここ数週間、身辺の環境が色々と目まぐるしく変わっていきました。中々、記事を書くことが出来ていなくて、この辺りで自分のことを含めて整理し、総括しておきたい、と考えていました。
 
 まずは執筆グループについてのことです。あれからメンバーの方との議論の末、スペースを残す形となり、管理人を引き継いでいただきました。色々なことがあったのですが、最終的に存続を望んでくださったメンバーがいて、空閑グループが継続されることになって良かった、と思っています。管理人権限の引き渡しが無事完了し、心境としては少しほっとしている、というのが本音でしょうか。グループからは離れましたが、影ながら今後の活動を応援しております。
 
 一馬書房とは別に新しく始めた古本関係の仕事は、二ヶ月目になります。最初は少なかったシフトも徐々に増え始め、新しい職場に徐々に馴染んできたところです。本はやっぱり好きなので(それも古本の方が良い笑)、作業が難しかったりする時もあったりするんですが、めげずにぼちぼちやっています。好きな本や作家さんを棚の中から見つけ出すと、ひとりでテンションを上げていますが、あまり人には云いません。もともと黙々と作業することの方が向いているようです。
 
 仕事を再開したのは、時間稼ぎの意味もありました。ブログを始めて、二年以内に作家になることを掲げてやってきましたが、ここに来てようやくその言葉の無謀さを噛み締めているところです。作家になる、と口にするのは容易いですが、六年間、書き続けてきて箸にも棒にも引っかからないままでは、プロになるという言葉に空虚な響きを感じるようにもなりました。三末に発表の群像の結果は落選で、これで公募の落選は八度目になると思います。
 
 根本的に、自分の文学とは何なのか、そもそもこの生き方を続けていってよいのか、思い悩むところがない訳ではありませんでした。もともと二十の時点でマイナスに振り切れたところからの人生だったので、喪うものはとうの昔になくしていますが、それにしても上手くいかないことだらけだったなと、曲がりくねった蛇のような人生を振り返って思います。端から見たら、誰も気付く人はいませんが、私の人生は二十を境に途切れています。交友関係もその前後で全く変わりました。人格としても別の人間になったように思います。その蛇のような二十年の人生が私に残してくれたものはノートとペンしかなかったので、私は物語の林檎だけを囓って生き延びてきました。それが良かったことなのか、私には分かりません。選ぶ余地はありませんでした。時々、他人事みたいに人生を眺めている自分に気が付きます。ほんとうのことを話すのは、ノートの前でペンを握っている時くらいなのかもしれません。嘘を吐くことでしか、ほんとうのことが云えないひとが、この世にはいます。
 
 仕事についてですが、一馬書房の古本の仕事を、いつか自分の生業にしたいと思っています。時間稼ぎ、というのは小説家を思い切り目指していられるだけの時間と、一馬書房として独り立ちが出来るまでの時間を稼ぐ、という意味合いです。文字ばかりを読んで、本に救われたような人間が生きていくのなら、本に関わらずに生きていくことは、あり得ないような気がします。私に出来ることは、ただ小説に関わり続けることだけです。その結果が自分を何処に連れて行こうと、構いません。ひとりで路地裏に野垂れ死ぬようなことになっても、仕方のないことだったのかなと思います。時計の針が、私に許す限りは、ものを書き続けて、本を読んで、古本を売って生きていこうと思います。
 
 グループのことや仕事のことも含めてそうですが、もともと私はひとりぼっちの人間だったんだということは、改めて思いました。私が無理に関わっていこうとすることで軋轢を生んだ部分もあったと思います。ですが、それでも側に残ってくれたひとや、暖かい言葉を掛けてくれたひとがいたこと、最後には理解してくれたひとがいたことに、感謝しています。
 
 春からは文学学校に通います。私の未来は分かりません。ただペンとノートを握り締めて、物語の林檎を片手に抛りながら、生きていくことは確かです。いつか誰にも云えなかったほんとうのことが、云えるようになるまで。ただの嘘吐きで終わるのは厭だった。
 
 kazuma
 

f:id:kazumanovel:20180411203155j:plain