虚構世界で朝食を

Breakfast at fiction world

青い蝶

今年は色々と変化のある年だった。公私ともに。月の一つひとつをつぶさに見て行けば、何の変化もなかったような時期も実はそれはそれで必要だったのだと分かる。五月末の退職、十月から始めた古書店『一馬書房』、夏の九州旅行や冬の東京旅行、一年越しの群像向け作品の完成と応募。文藝賞落選。再就職の口探し。終わってみれば、通りに木枯らしが吹いて落ち葉が散っていくのを見ていたようなそんな気もする。五月の桜の青々とした葉もあれば、十月の銀杏のような黄色い綺麗な葉っぱもあった、もう随分と茶色くなって枯れていきそうな葉も、じっと見つめていた。まるで煙草の火に当てられて黒くひしゃげたその形をいつまでも眺めていた。それでもやはり私の感覚としては全て過ぎ去っていって、流れたまま何処かへ――もう手の届かないところへ――行ってしまうのだなと公園や街路のベンチに腰掛けるようにして、思っている。年の終わりには何故かいつも哀しくなる。勿論、今年に何にもなかった訳ではないし、手元に残ったものやこれからも関わっていくひともいるのだけれど、云いたいことはそういうことではなくて、物事はただ終わってしまうのだなという、ホールデン・コールフィールドが学校から、友達から、親から、妹から、社会から、去って行く、その眼が観たような一種の惜別を自分の裡に囲っているような、そんな眼で世の中を見つめて歩いていったら、ここから先にあるものはいったい何なのだろう、その先に何があるのだろうと不安になったりする。
 
善いことだって沢山あったはずなのに、思い出そうとするといつも哀しい思い出の方が先立つのは何故なのだろう。私がそもそも小説を書き始めたのは、あまりにも哀しいことが身に降りかかりすぎたからで、自分の持っているものを殆どと云ってよいほど奪われる体験をしたからで、その前後で私という人間はまるで別の人間になったように思うことがある。それは事実そうだったし、そうなるように願っていたかも知れない。かつて、大学のある友人にお前は暗くなった、と云われた。昔を知っている人間がいまの私を見て話をしたら、間違いなく違和感に気付くだろう。見た目も変わった、いつからか物憂い気分は晴れなくなって、それが通常になった。それから随分と憂き目に遭いながら、破れかぶれで病に罹った後の五年間を生き延びて来た。どこでいつ線が切れてもおかしくなかったし、時々切ってしまいたくもなった。それでも何とか細い細い綱の上を、馬鹿みたいに先に何かがあると信じて渡ってきた。信じた糸は言葉だけだった。そうやって伸びていく糸の端をずっとひとりで握り締めていた。誰がもう一方の端を握っているのか、私は知らない。
 
何故このようなことを書いているのか、自分でも分からないし、あまり分かりたくもない。多分、五年前に橋の上に立っていたからだろう。書いてきた小説は昔のことばかりだ。どうにかして昔の自分を助ける言葉を見つけたかった。けれどもいまの自分を助ける言葉も見つけていない人間にそんな言葉は吐けなかった。いまもずっと出口を探し続けているけれど、答えが見えない真っ暗な暗室の中を歩いている心地がする。必死に書いた作品は、ある尊敬していたひとに徹底的に酷評された。応募した文藝賞には門前払いを喰った。はじめたばかりの古書店『一馬書房』は正直なことを云うと、あまりうまくいっていない。自分はいったい何をやってきたのだろう。才能もなく努力も足りないのかとうんざりした。生きることに割に合うことなんて何一つないなと思った。
 
本当は明るい記事を書くつもりだった。辛い事なんて何にもない、あっても大したことない、大丈夫なんだと振る舞って、来年の目標や抱負も書いたりしてみたかったのだけれど言葉は時々言うことを聞かなくなる。自分の全く思ってもいないことは書こうと思えば書ける。これまでに書いたブログの記事の中にいくつかそういうものはある。でも、本当に言うことを聞かなくなる時が、小説に限らず文章を長く書く人間の中には誰しもに訪れて、そういう時にはただ言葉に従う、従うしかなくなる。そういう時の自分はいったい誰に向かって話しているか、誰に向かって書いているのか、誰がこの文章を書かせているか、分からなくなる。ただ言葉の羅列が象るように指の先から流れていくのを見つめている。
 
どんな文章も誰かに読んで貰うためにある、言葉の向こう側にひとが居る、ということを今年教えてくださった方がいた。本当に迷惑を掛けながら、お世話になったのだけれど、じゃあその向こう側にいる人間とは誰なのか、ということを自分はまだよく分かっていない。今までの作品は自分の為に、ある意味では自分の為だけに書いていたようなところが多分にあった。元々私が文章を書き始めたのは、当時、他に自分を表現するような手段が何一つ見つからず、あらゆるものが制限された病棟のような場で選べるものは、それしかなかったからだ。自分の為に文章を書けば、自分と似たひとはきっと分かってくれるし、自分を助ける言葉が見つかれば、その似たひとも助けられると傲慢にも思っていた。五年書いて最終的に出来上がったのは、歪んだ自意識が生み出したような黒い繭に過ぎなかった。そんな物語では恐らく誰の助けにもならないし、まして当初の目的である自分が生きていくことを助ける文章にはならない。生まれてくるのは美しい蝶ではなく偽物の蛾の類いだろう。それでも私はこの作品さえ、ある部分では愛おしく思う。言葉にならないものが少しは言葉になったから。誰にも分かって貰えなくても、ペンだけは折るつもりはない。誰に向かって書いているのか分からなくなるところまで、来年はきっと書くだろう。その先に誰がいるのかを私は見たい。いつか言葉のサナギが青い羽を持って指先から飛び立つような瞬間に、それはきっと分かる。
 
電子書籍化した作品も元々は自分のために書いたものだったけれども、どちらも何度かリライトをして、読む人が楽しめるように、あるいは読みやすいようにと思って修正を掛けたものを提出している。数人の人にしか見せていない今年群像に応募した黒い繭のような作品は、リライトしていない。三月末〆の新潮向け作品が書き上がり、群像の結果が出て一段落した頃に、落ち着いてやろうと思っている。
 
このブログのプロフィール欄に掲げているように、2019年3月31日迄に作家になることを私は目標にしている。本当にそれを叶えようと思ったら、弾はあと残り二発しかない。2018年3月31日〆の新潮新人文学賞、そして2018年10月31日〆の群像新人文学賞。それが間に合う為の最終ボーダーライン。一発目の弾の結果は2018年4月初旬に分かる。セーフティネット(救済措置)として、再来年の目標期限日である2019年3月31日〆の新潮応募と黒い繭のような物語を改稿したフルバージョンを2019年の頭に撃つことを考えているが、それで仕留められなければ人生そのものを考え直すことになる。だから迎える年は、目標達成の為の最期のデッドライン。
 
来年で小説を書き始めて六年目となる。この年に結果を出せなければ自分は終わりだという思いで、ペンを握って文章で何処まで行けるかをやってみる。このまま終わったらただの犬死にだから。誰だっていつかは人生で一か八かの勝負をしなきゃいけない。賽の目がそれでひっくり返るかは分からない。それでも、ひとに何と云われようと自分はいつか文章で生きていくのだと、誰もいない五年前の病棟の中で信じていたし、いまもそれだけを信じている。言葉の先が何処へ連れて行くのかなんて知らない、何処へでも連れて行けばいい、その為になら何だって差し出す。物語の神様がもし存在しているのなら、自分の魂を明け渡してもいい。人生でちゃんとした一篇の小説が書けるのだとしたら、他に本当に望むものなんて何にもない。
 
十二月の風が吹いて、通りから人々は去り、葉っぱ一枚残らない。そんな場所に立っていても、いつか見えない言葉の蝶が指先から現れて、たったひととき、青い羽根を広げて、自由に踊るように宙を舞う。そんな瞬間だけを夢見ている。
 
kazuma