虚構世界で朝食を

Breakfast at fiction world

進展

 しばらくネットの世界から離れていた。多分、十日くらいは経ったんじゃないかと思う。一応、現実世界での報告をいくつか。
 この十日間で一番のビッグ(?)ニュースは、古物商の許可申請の手続きが進んで、四日前に警察から営業所の確認があったことだ。営業所といっても、ネット古書店なのだから、ただの自宅であって、机の上にパソコンが置いてあって本棚があるだけのことなのだけれど。古物商の申請で担当してくださった刑事さんが来て、机の写真と本棚を作業場の写真としてぱしゃぱしゃ撮っていった。不意に文学部だったかどうか聞かれて、質問には勿論、イエスと答えた。それからちょっとした話をして、ものの数分も経たない内に帰られていった。刑事さんは忙しい。私のような暇人に時間を取らせてしまうのも何だか申し訳ない気持ちになりながら、それでも十日後辺りに許可が下りれば許可証を取りに来るように、と云われた時は、嬉しかった。多分、申請は通ってくれていると思う……。

 いま書いている小説は原稿用紙換算で270枚を超えた。小説は量ではなく中身であることには違いないが、眼に見える数字というものも自分が確かに歩んできた言葉の道程を示す距離のように思えて、少しばかりマラソンランナーのような気分にはなる。書きながらランナーズ・ハイの気分の時は最高だ、読み返すとその部分だけは本当にこれを自分が書いたのかと不思議になったりもする。自己満足と云われればそれまでだが、多分作家になるような人間は、自分の書いた文に関して自己肯定するようなエゴイズムがなければものにならないような気もしている。自分が信じてもいない文章を他人に読ませるのは不実であると思う。枚数の話に戻すと、原稿用紙換算250枚以内というのが、狙っている純文学賞(群像、新潮)の応募規定となっていて、多分いま書いている話はどう書いてもその枚数に収まらないので、メフィスト賞に出そうと考えている。メフィストの規定分量なら、問題は無い。ただ基本的にはエンタメの賞というのが唯一ひっかかる。Twitterで、いままでこの賞に応募されてきた方(藤崎さん)にいくらか話を伺ったが、カオスな賞であるということを話されていた。HPと応募要項と出身作家を見れば何となく気付いていたが。取り敢えず、対策のつもりで第一回受賞者の森博嗣の『すべてがFになる』を読んだが完全に理系ミステリの化物だった。というか、恐らくこの賞は、小説の化物みたいな人間ばかりが受賞している気がする。純文だって上に行けばそれは同じなのだが、小説のベクトルが明らかに違うように思っている。喩えるなら、小説のひとつひとつの歯車をいかに美しく仕上げるかという点よりも、そのひとつひとつの歯車を組み合わせていって、どれだけ精巧な仕掛けの造りのものが出来るかを競っているかのような、そんな印象を受けるのである。これは、個人的な純文とエンタメの違いの意見だ。面白ければ本になる、という言葉の方を私は信じたい。この後、藤崎さんに教えて頂いたメフィスト賞作家の中で純文学寄りの作品を書いた白川三兎の『プールの底に眠る』を読むつもりでいる。

 今日は百貨店で古本市をやっていたので行ってきた。二時間くらい粘って売り場を回って、結局買ったのは文庫本四冊で、ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」とジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」の二巻以降を買った(一巻は所持)。古本を買う時に決めているルールがひとつあって、それは自分の本棚に絶対に入れておきたい本かどうか、というのを私はひとつの基準にしている。安い、というだけの理由で買い漁っていた時期もあったのだが、いざ買ってみて並べてみると、コメントを付ける気にならないような本はいくら安くても買うべきではないし、これも文章と同じで、自分が良いとも思っていない本をお客さんに売るのは、お客さんに対して不実であるように思う。この点に関しては異論を唱えられても仕方ないが(文章とは違って古本屋は商売なので)、私はその点には拘りたいなと思うし、それが自分の店のカラーというか特色になってくれるんじゃないか、とやる前から思っていたりする。いずれにせよ、少しずつ準備は進めているので、オープンが秒読みになれば、また告知させて頂きたく思っています。
 最後に、三末に応募した文藝賞なのだけれど、選考連絡の電話がなかったので、九割九分九厘、落ちていると思う。落選はこれで五度目だろうか。割と自信がない訳ではなかったので、悔しい気持ちもあるけれど、それ以上にいま書いている小説にのめり込んでいる。受かるまでやるだけだと思っているし、私に残された道はそれ以外にないと、ずっと昔に腹は括っている。なんなら小説と心中しても構わない。自分の骨を埋めるのは言葉と虚構の中にしかないと思っている。だからいつか、虚構で(自分の本を売って)朝食が喰えるようになったらと、そのブログタイトルのような瞬間だけを信じて、行けるところまで行ってみたい。

 文藝賞に落ちた作品は改稿後、電子書籍として発表するつもりです。一応、武内一馬名義の第二作となります。いま書いている小説を読まれた方が一名居られますが、できればこの三作目は、実際の本になってくれることを信じます。
 遅くなったので、今日はこれまで。本当は20時頃からこのブログを書いていたが、弟が実家に帰ってきて久しぶりに話をしていたので、途中までしか書かなかった。

 

 see you again.

 kazuma

 余談:因みに我が弟は、プルーストの「失われた時を求めて」を読破していた。今日会って古本市で見つけたジョイスの本の話題を持ち出すと、一年前に全巻読み終えていた、と聞いて心底驚いた。弟の方が小説家になれんじゃねえか笑 と思ったが、やはり腐っても兄貴なので、小説家になるのは私の方だ。書くようには薦めてみたけれど、他のことで負けてもそれだけは負けるわけにはいかない。あと全然関係ないけど、メフィスト賞シャーロック・ホームズ像は死ぬほど欲しい。乱歩賞のものと同じものだってさ。

 

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