虚構世界で朝食を

Breakfast at fiction world

夏の暑さは観念を溶かす

 暑い。頭の中でいくら御託を並べるのが得意でも、この暑さを殺せるのは25度のクーラーだけだ。心頭滅却すれば火もまた涼し、と禅宗ばりの観念論を唱えてみても暑いもんは暑い。グラスに氷を敷き詰めた一杯のアイスコーヒーの方が遙かに役に立つ。ひとはパンのみのために生くるにあらずとイエスは言ったが、どうしてもパンが必要な時というものがある。もといクーラーが必要なときというものがある。もし観念だけで生きていけたとしたら、とっくにそいつは悟りを開いてどこかの宗教の開祖になっているだろう。クーラー教なら私はどこまででもついて行く。但し、クールビズ28度なんていうヌルい教義はお断りだ。こんな文章を書いているのは暑さで頭が馬鹿になっているからかもしれない。夏の太陽の前では色んなことがどうでもよくなる。

 因みに今日は、久々に河川敷を走ろうと思い立って、半袖のランニングウェアを繁華街まで買いに行った。思い立ってはすぐ突っ込んでいって痛い目に遭うという人生を繰り返してきたので、学生の頃に比べて首を突っ込む具合は減ってきたのだけれど、今日は違った。頭の中のストッパーが緩くなった。夏のせいだ。

 速攻で目当てのアディダスの青いウェアを買うといそいそと帰宅。買ってきたばかりのウェアを着て、TSUTAYAで借りてきたDeftechの曲を詰めたipod(夏は何故か聴きたくなる)と二百円だけを持って家を出た。天気予報は無視したというか見ていない。雨は降っていなかったから。

 走り始めると天気の具合が微妙に悪いことに気付いた。曇天で向こうの方では雷が鳴り始めていたが、Deftechの曲を聴いて南国ハイになっていた私は、そのままマイペースに橋の下を三つくらい越していった。すれ違ったランナーは土手を降りていった。賢明な人間なら雨が降る前に濡れずに帰る。定番のランニングコースとなっている通りまで来ると、そこには日曜だというのにランナーはちらほらいるだけだった。その頃、空から雨が降り出した。最初は小雨で気にもならなかったが、さすがに途中で十六連符スタッカートで猛烈にアスファルトを叩く雨には閉口し、鉄橋の下でしばらく雨が収まるのを待った。五分ほど待つと、雨が小降りになったのでその間に駆けた。そこから先は雨宿りできる場所が殆ど無かったから、ペースを上げてコースから抜けていったが、急に走ったせいで少し膝を痛めた。おっさんみたいになったもんだなと思った。結局雨宿りする場所に辿り着くまでに雨はドヴォルザーク交響曲第九番ばりの演奏をはじめ、天の指揮者はタクトを乱振りするので、凡夫である私は泥の付いたランニングシューズで指揮者を称えるように地面を叩きながら、再び錆び付いた鉄橋の下でぼんやり空を見上げて立っていた。音楽を聴きながら走っていると何にも考えなくて良いのだが、イヤホンを外し、雨の音を聞きながら黙って動かずにいると、そういえば文藝賞はどうなったろう、という問いがぼんやり鬼火のように浮かんできては消えた。それから橋の外へ出たくなって、何もかも諦めたように歩いた。途中で自販機があったからポカリスエットを買った。雨でびしゃ濡れになったまま飲んだ、あの青いラベルの透明な液体はこの世の飲み物とは思えないほど旨かった。気が付くと雨が上がっていた。二十五回目の夏が来た。

 

ノンフィクション小説を書く気はなかったけれど、図らずしてそんな文章になった。職業(?)病だろうか。ほんとに職業になってくれればいいんだけれど。

 

人事尽くして天命を待つ。

 

Do my best and leave the rest to Providence.

 

kazuma