虚構世界で朝食を

Breakfast at fiction world

二週間が経ち、ハレはケとなる

 新しい生活が始まって二週間が経ったが、未だに足が浮ついたような日々を送っている。何時に起きるのも自由だし、何時に寝るのも自由。何処かに出掛けても良いし、何処かに出掛けなくとも良い。あれほど渇望した自由の日々は、始まると駆け足で去って行くように思えてしまう。この時間の流れ方は、仕事をしていた時に比べて、余りにも早く感じている。好きなことばかりやっているからだろうか。比喩でも何でもなく直喩で地に足が着かない。その足を地に繋ぎ止め、楔を打つことができるのは、小説に関わっている間だけ、文字を書き付ける間だけ、ということに感覚で気付く。人間が本当に自由になれるのは、何かを生み出そうとする不自由の中に、自ら望んだ不自由の中に、進んで分け入っていく時だけなのかもしれない。重力がなければ息は吸えない。糸を掴んでいなければヘリウム風船は割れる。両方なくても、生きていられるならそれがいいが、それが許されるのは虚構の中だけだということを、取るに足らない現実は、わざわざきっちり耳元まで来て教えてくる。つまらない彼らに家庭教師を頼んだ覚えはない。ウルフやジョイス、カポーティがものを教えてくれる。哲学がしたければ、ショーペンハウアーの本を紐解けば良い。悩んでいることの大体は書いてある。自分のちっぽけな頭で考えたことは、そう考える遙か昔に、他の誰かが考えている。個々のオリジナリティのある考えや文章は、イデアの鋳型のようなもので、一朝一夕で造り上げられるものではない。何度も命題を思い浮かべては消し去り、言葉にしては斜線を引き、葦の群れを押し分けるように、文字をひとつひとつ並べていく。いつも跛を引くようにして、自分の悩みを引き摺り回し、先人の足跡を、常夜灯の下で追っていく。辿っていってそこに答えが書いてある訳ではないけれども、文学の道は、道行きなしに進めるような明るい昼の道ではないだろう。右に行けばいいのか、左に行けばいいのか、未だに分からずに書いてきた五年分の原稿の束が、そのことを否が応にも弁えさせる。鬱蒼と生い茂る夜の樹海の中を彷徨い歩いた道が、自分の文学になってくれるだろうという思いがする。もし、その言葉の森をいつか抜け出る日が来たら、その時は、晴れた日の下で、きっと作家になっているということを信じていたい。それまでは、覚束ない足取りでも構わないから、机の上でノートを広げ、淡々とペンを握り続けて、あれやこれやと考えながら、この「ケ」の日々を納得のいくところまでやってみたいと今日のところは思う。「ハレ」の日なんて来なくても良い。まだ日の目を仰ぐには、紡いだ言葉は短すぎるから。

 

 (了)

 

 kazuma

 

 R.Days :658

 ※(余談)

 リアムが帰ってきましたね。「Wall Of Glass」はツイートしましたので良ければそちらも。One love Manchesterのライブ映像はうるっとくるものがありました。彼らの歌声は、一筋の閃光のように、真っ暗な夜道を一度に昼にしてくれます。最高の導き手ですね。

 


Liam Gallagher and Coldplay - Live Forever (One Love Manchester)